楡山神社ホーム



  日本の舞 神楽 の公演

 平成14年12月8日
 天地あめつちの神にぞ祈る。朝凪の海のごとくに浪立たぬ世を

 この昭和天皇の大御歌おおみうたによって作られた「浦安の舞」は、楡山神社、上野台八幡神社においても、今日まで受け継がれ、毎年の春秋などの祭礼において、熱心な氏子女性たちの指導により、小学校六年生の子供たちによって奉納されています。
 このたび、「浦安の舞」のほか、日本の神様の前で舞われてきた、いくつかの舞の公演が開催されます。たいへん貴重な機会ですので、是非お出かけになってはいかがですか?

 日時 平成14年12月8日(日)
    午後1時開演
 会場 明治神宮会館ホール
    (明治神宮境内)
 曲目 新年の舞、浦安の舞、みたま慰の舞、大和、呉竹の舞、玉垣の舞、御田植の舞、悠久の舞
 主催 神社音楽協会


 以上は平成14年11月のものです。ご協力有り難うございました。


  牧野記念庭園

 東京都練馬区東大泉に牧野記念庭園はあります。世界的植物学者 故牧野富太郎博士の偉業を後世に伝えるために昭和33年12月1日から開園されました。園内には310余種のが植栽されています。この草木類は、博士が生前日本国内、国外にまで自ら探し求められたものを苦心と愛着を持って育てたものです。

 (牧野博士の歌) 草をしとねに 木の根を枕 花に恋して50年

 記念館の陳列室には、牧野博士が国内外より採集した植物の押し葉や竹の標本、植物に関する書物、博士愛用の品の一部が展示されています。
 四季を通じて楽しめますが、春の桜の頃が良いでしょう。センダイヤマザクラという日本では一番大木といわれる成木があります。開花時期はソメイヨシノよりも1週間程度遅く、花は美しいピンク色で葉の色も美しいのが特徴です。東に一駅歩くと石神井公園もあり散策するのにもちょうど良い距離です。これから暖かくなるので是非また出掛けてみたいと思っています。(15年2月)


  木曽福島を訪ねて

 夏の終わりに中山道木曽11宿の一つ木曽福島に行ってきました。東に木曽駒ヶ岳、西に御嶽山、険しい山々の間を縫って流れる木曽川沿いの道をかって伊勢詣、善光寺参りの旅人や商人達が行き交い賑わっていたのでしょう。「山蒼く暮れて夜霧に灯をともす、木曽福島は谷底の町」とうたわれるように崖作りの家が木曽川に沿って立ち並んでいます。 崖屋作りとは床を川上に張り出して狭い土地を有効利用したものです。

   少彦名命  阿子大夫
          白河権現
 天常立尊

   大巳貴命  御嶽開闢覚明行者 

 水無(すいむ)神社は木曾氏の崇敬していた神社です。「みこしまくり」という祭りがあります。「まくる」とは「転がす」の方言で、「宗助!幸助!」の掛け声に合わせ毎年新しい白木の御輿を転がしながら最後には壊してしまうという奇祭だそうです。この神事は往古飛騨の国よりご遷座の折りの模様をかたどったものだと伝えられています。(右上図)
 木曽福島郷土館には中世の木曽文化や江戸時代の町人の生活用品が展示されていました。その中で、一般通行人のための宿泊施設として、旅篭・木賃宿・馬宿・茶屋などがあり、当時の土産として販売されていた薬種・漬物などのレッテル・旅篭屋の看板などが当時の様子を伝えていて興味深いものがありました。講社の看板で一新講や、神風講、御嶽講があり,山岳信仰の聖地としても宿場が賑わっていたことがわかりました。
 木地 轆轤挽(ろくろびき)祖親、惟尊親王尊の掛け軸や、白河権現と御嶽教の関係の描いた掛け軸もありました。(左図)14/9/30


  銘菓"柳田國男ごのみ

 土用の暑い日に新潟の友人のkさんから「柳田國男ごのみ」という名の御菓子をおみやげにいただきました。お弁当箱に見たてたふたを開けてみると、寒天を使った涼しそうな和菓子でした。このお菓子は鎌倉の和菓子の老舗「源吉兆庵(みなもときっちょうあん)」の製造で、月ごとに、その月に生まれた文化人や作家をテーマにした創作菓子のシリーズです。柳田國男は明治8年7月31日生まれです。その人柄や略歴を紹介した豪華解説書付きです。お菓子を食する前に柳田國男の足跡を知ることが出来ます。
 寒天を使った甘夏ゼリーは果肉入りの甘さの控えたさっぱりとした美味しさでした。(YM)

  源 吉兆庵 文化人生誕記念菓子 のページへ

  世田谷区 岡本八幡神社

 多摩川近くの東京都世田谷区岡本に岡本八幡神社があります。
 むかし大山詣おおやまもうでで賑わったという大山街道(246号)から少し入った所の、小高い丘の上にあり、木々に囲まれた静かな境内です。
 参道の石段をのぼる手前に、氏子の松任谷正隆、由実夫妻が奉納した一対の春日灯籠がありました。(7/14)


  伝統文化鑑賞会「和歌の披講」

 (14/5/29)
 4月28日に国立劇場にて和歌の披講の鑑賞会が開催されました。新春、皇居「松の間」で開催されている「歌会始めの儀」で披講する模様が厳かに再現されます。講師(こうじ)の方による読み上げと発声・講頌の方々による朗唱の調べは見事なものです。
 第一部では平成14年は宮中に和歌所が設けられてから1050周年に当たるということで最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」から春の歌の披講、講師の方二人は衣冠の装束を身に着け春の風景を背に歌を詠みあげていきます。

     仁和のみかど、みこにおましける時に、人にわかな賜ひける御うた
   光孝天皇
 ◎君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ
     
     初瀬にまうづるごとにやどりける人の家に久しくやどらで、ほどへて
     のちにいたりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどはある、
     といひ出だして侍りければ、そこにたてりける梅の花ををりてよめる。
                            紀 貫之
 ◎人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける

     花ざかりに、京を見やりてよめる      素性法師
 ◎見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
     
     さくらの花のちるをよめる        紀 友則
 ◎久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ
                         小野小町
 ◎花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

     きさいの宮の歌合のうた         藤原興風
  こゑたえずなけや鴬ひととせにふたたびとだにくべき春かは
                                 
 第二部では明治12年歌御會始「新年祝言」(しんねんのしゅうげん)の歌から披講されました。
    御製 明治天皇
  新玉の年もかはりぬけふよりは民のこころやいとどひらけむ
    皇后宮御歌
  日の御旗たかくかかげて国民のあふぐやとしのひかりなるなむ
  
                       一品幟仁親王
  君が代のひかりにみがくあら玉の年のはじめはゆたかなりけり

 第3部では平成14年歌会始の儀で披講された「春」の歌から数首が詠まれました。調度品を宮内庁より借りてきて宮中の松の間を再現した歌会始の模様を緊張した気持ちで聞いていました。  
 和歌(やまとうた)は「三十一文字(音節)」に人の心や自然、すべての生き物への感動をまとめ、古来より貴賎を問わず詠まれ歌われてきました。
 日常を少しの時間だけ離れ日本古来から続いている独特の調べにのせて歌う和歌を耳で聞くのはとても心に良いことと思います。機会があったら又出掛けたいものです。(YM)


  渋沢平九郎も逃げ込んだ顔振峠を訪ねて

 (14/4/25)
 4月の爽やかな晴れの日に、黒山三滝と顔振峠(かあぶりとうげ)に行って来ました。黒山三滝は、埼玉県越生町に流れる越辺川の源流になっています。熊野神社の隣にある駐車場に車を止め、そこから散策することにしました。歩いて20分くらいして川を渡り、少し上ると天狗滝に到着しました。もとの道に戻り、さらに足を進めると、落差の緩やかな女滝、水飛沫が勇ましい男滝があります。江戸時代の頃から遊山、避暑地として知られていたということです。歩いていく道の両側にはシャガの花、山吹の花が春の訪れを感じさせてくれます。
 黒山三滝を後にして顔振峠へと車を走らせました。顔振り峠は、越生と吾野を結ぶ道にあり、古くから商人や巡礼の人々で賑わったそうです。峠の頂上に着くと平九郎茶屋があります。ちょうど、昼を過ぎた頃だったので茶店で昼食を摂る事にしました。奥武蔵の絶景が目の前に広がる座敷に座り、茶店の名物といわれる手打ちそばと山菜の天ぷら、ゆず味噌のかかったこんにゃくを食べました。鶯のさえずりを聞きながらお腹もいっぱいになりました。
 茶店の前にある石の案内板には、平九郎物語の歴史や、源義経が、あまりの美しい景観に何度も何度も振り返って峠を越えたことから峠の名前がついたという伝説が書かれてありました。明治維新の飯能戦争で敗れた幕軍の烈士・渋沢平九郎が、辞世の歌「惜しまるる 時散りてこそ 世の中は 人も人なり 花も花なれ」を残して自刃した地でもあります。渋沢平九郎は、深谷市手計(てばか)生まれの剣術家で、渋沢栄一の義弟にあたります。


  多胡碑を訪ねて

 (14/2/20)
 群馬県多野郡吉井町にある国特別史跡「多胡碑」を訪ねました。多胡碑は栃木県にある那須国造碑、宮城県にある多賀城碑とともに日本三古碑と呼ばれています。碑文には、和銅四(711)年の多胡郡の設置について述べられ、ほぼ同じ内容の記事が正史の「続日本記 」和銅3月6日の条にも見られるそうです。
 碑に刻まれた「給羊」の二字から、土地の人々に「ひつじさま」と呼ばれて信仰され、今日まで大事に守られて来たそうです。写真は多胡碑記念館のスタンプ。

 多胡碑
弁官苻上野国片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多冶比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
  伝説「羊太夫」
 
 昔々、上野国の多胡郡を治めていた羊大夫という立派な王がおりました。奈良の都へ行く時は、家来の八束はぎの背に乗って通っていました。八束はぎの、脇の下には羽があり都へ行くのも一っ飛びに行くことが出来ました。
 ある暑い日のことでした。八束はぎが木の下で昼寝をしていると羊大夫がやって来て脇の下に生えている羽を見つけ取ってしまいました。それ以来、八束はぎは以前のように飛んで都に行くことが出来なくなってしまいました。
 都では、羊太夫が約束の時間に来られなくなった事から、謀反をたくらんでいるのではないかと疑うようになりました。そして数万の大軍で攻めて来たのです。官軍と戦うことになってしまった羊太夫は次第に追いつめられて、蝶になりやがてトビになり、池村さして飛び去りました。八束はぎもトビになって飛んで行きました。
 後になって羊太夫の謀反の疑いも晴れ、人々は立派な祠を建てて丁寧にお祭りしたということです。羊神社は群馬県安中市に、八束脛神社は月夜野町にあります。(YM)


三重県一志郡美杉村川上

  若宮八幡神社参拝の思い出

 (14/1/14)

 平成13年9月18日。伊勢神宮に参拝した帰り道、少し遠回りをすることになるけど、以前から一度行ってみたいと思っていた若宮八幡神社にお参りすることにしました。自動車で参道下の駐車場まで行くことが出来ます。参道を歩いていくうちに暑さも引けて、山の涼しい風が通り過ぎてゆきました。祓え所でお祓いを受けてからひんやりとする拝殿に上がり、滝の水音のする中で禰宜さんの朗々とした祝詞の奏上を聞き心も身をもすがすがしくなった思いがいたしました。祈願を終えてから境内を案内していただいたことも楽しい想い出となりました。(写真は「川上山参拝の栞」より引用)
 若宮八幡神社は雲出川の水源地に鎮座し、仁徳天皇と磐之姫皇后を主祭神とし、水の恵みや武道、修験道などの信仰があります。歌人、国文学者の岡野弘彦氏はここの宮司家のご出身です。岡野家にはこんなお正月の若水汲みの歌が伝わるそうです。(YM)
  今朝汲む水は福くむ水くむ宝くむ、命長くの水をくむかな