『百姓の一筆』を読んで


現代教養文庫の一冊『百姓の一筆』(田中佳宏著)は、旧武蔵国幡羅郡エリア(埼玉県妻沼町)の人の本では、最も面白い本ではないかと思う。著者は、歌人でもあり、農業を営んでおられ、農業問題、食糧問題を考えさせられる本である。

1か月ほど前に読んで、いま目次をぱらぱらと見ると、
「ダイコンは工業では作れない」という見出しの章。これはつまり、農作物というのは、いくら合理化を進めても、米なら(普通は)年1回しか獲れない。田の面積あたりの収穫量も、格段の進歩があるわけではない。工業製品と同列に扱うことは論理の倒錯であるということで、そんな内容だったと思う。
「ミミズが生きていけない土」 これは、増産のための化学肥料や農薬が、土を変えてしまっているということらしい。増産しなければ、農家の暮らしも、食料を購入する他の国民の生活も現状では成り立たないのではあるが。
そのほかの見出しについては、短かすぎて内容を思い出せるものが少ないのが残念である。新聞連載のときの制約だったのかもしれない。

農業がどれだけ重要なことかを、政治家は理解できているのだろうか。
食料自給率の問題も、当時から大きな問題だった。

当時というのは本の執筆当時のことで、1985〜88年、日本人の多くがバブル経済に浮かれていた時代である。坪40万円の土地でダイコンを作っていたのは大都市圏のことだが、当時は、地方でも市街化区域なら坪20万円くらいだった。今は1/3以下に値下がりした。今後は更に値下がりするに違いない。市街化でなければ更に安い。
市街化以前は、坪1万円で1反300万円、これは江戸時代に1反10両だった例もあるので、10両=300万円とすれば、江戸時代から大きな変動がなかったといえる。しかし農業をやめて田畑を手放す人が増えた今は、1反50万円、坪で2000円以下になっているらしい。そんなに安いのなら家庭菜園のために買おうかと思う人もあるだろうが、農家でなければ買えない。おそらく今は外国企業が食指を伸ばしているに違いない。

食料は、欧米先進国では戦略物資の一つとしてとらえているようだ。
明治以来、追いつけ追い越せで効率優先でやって来た日本だが、真似たのは上辺だけで、そうした考え方には及びもつかない。
かつての日本では米は貨幣に準じるものだった。今は、輸出産業のために、外貨の調整が必要なときに、農作物の輸入を増やすというのも、農作物を貨幣とみなしているわけで、昔と同じだといえなくもない。しかし昔の貨幣は金(きん)そのものだったが、今は投資や賭け事のチップのようなものになってしまっているようだ。

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