子供の手習

北武蔵地名

江戸時代の手習塾(または寺子屋)で、子供が読み書きを習うための教本などで、有名なものはいくつかある。
『名頭字林』は、「原平藤橘」で始まる人名用漢字を羅列した内容であり、全国共通である。『江戸方角』は江戸と近隣の地名を羅列した内容だが、使用された地域は限定的ということになる。地方では地方の地名を羅列したものがある。冒頭の画像は、武蔵北部の地名と、いくつかの上州の地名が書かれた文書の断片である。

1行目は読みにくく、最初の「戸」は前行からのもので不明だが、
次に「三ヶ尻 十六間」とあり、武蔵国幡羅郡の村名である。
次の「新堀 玉ノ井」も同様。
更に「 小嶋(大里郡) 瀬山(榛沢郡) 河原明戸(大里郡)」も村名。
 このあたりは三つの郡が混在しているが、瀬山(武川村)は、吉田東伍によれば幡羅郡霜見郷に比定される。川原明戸と小島(大麻生村)は、荒川の流域変更で荒川北岸に変った村である。

「深谷 本庄」は中山道の宿場。それに続く宿場の「新町 倉ヶ野 高崎」は上州である。
「次 榛名 妙義 八海山」は上州から越後の山。

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