大井の泉

『大井の泉』と題するエッセイ(丸谷才一『遊び時間2』に収録)で、岡野弘彦著『折口信夫の晩年』といふ本のことが語られてゐる。


「折口が死んでからの叙述が際立って立派である。殊に、玄関の神棚に祀ってあった男女の河童像の魂を抜いて、霊を放つくだりは、まことに美しい鎮魂の文章となってゐる」(丸谷氏)

と書かれ、岡野氏の著作からの引用が13行ほどある。
引用部に書かれてゐることは、品川区大井出石の折口宅裏から品川の海へ続く地下水脈があり、途中3ヶ所から泉となって湧き出してゐるところがあり、一続きの水脈なのだらう、3ヵ所のうちの最も上流である折口宅裏の泉へ、器に入った水を運び、水を泉へ注いで流したことが書かれ、美しく表現された文章であるとエッセイで評されてゐる。

速読のせいか、この引用文と前文とのつながりが、少しわかりにくかったのだが、『折口信夫の晩年』を確認してみると、「器の水」は、河童像の前に置いて念じて、河童像の魂を水へ遷したものだった。その水は泉に注がれ、地下水脈を通ってやがて魂は海へ至るのであらう。

海へ至るのは、神として祀られ、主人の死によってその役割を終へた河童像の霊なのだが、河童像を祀ってゐた主人の霊の一部分も、海へと至るのであろうか。

太古からの泉について考へるとき、生活用水としての有り難さといふ視点からだけではなく、別の視点、異界への信仰に関るものであったりするので、そのことを思ひ出せるようにしておかうと思ふ。

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