楡影譚の御案内

幡羅郷土史ブログ

『楡影譚』の開始

平成25年(2013)の春から秋にかけて書いた「武州幡羅郡原郷村の歴史」
 http://nireyama.main.jp/kyodo/harago.htm
の続編、ないし本格的な再構成と展開のため、
この『楡影譚 --幡羅郷土史ブログ』を開始いたします。
幡羅地区(旧幡羅郷)、旧幡羅郡、埼玉県北地域、利根川流域など、話題を少し広げることもあります。(7月1日)

ブログは、次をクリックしてご覧ください。

http://nireya.wp.xdomain.jp/

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『北武蔵の地域形成―水と地形が織りなす歴史像―』という本

『北武蔵の地域形成』--水と地形が織なす歴史像--
地方史研究評議会編 雄山閣 2015 \6800

偶然にBook_Offという店で(格安で)入手。
北武蔵、主として熊谷市と行田市の範囲、その周辺の少しを扱っている。3部構成、13編の論文。
いくつか読んで見た。

荒川利根川と地域拠点
「古代河川交通と森林開発」
律令制下の時代、郡家の建物にヒノキが多数使われるが、自生のヒノキは標高500メートル以上の山地にしか見られないことから、用材は運搬されたものだろうという話。
榛沢郡家跡から、運河らしき堀の跡が発見されている。用材は秩父北部の山地から、身馴川(小山川)を下って、どこかで運河へ入り、榛沢郡家まで運ばれたであろうと。
「藤原宮・泉官衙遺跡・徳丹城などで、建設資材搬入用と考えられる運河が発見されている」(25p)とかで、まっすぐ直線的に造られた運河も多いらしい。藤原宮の運河といえば、2008年に新聞記事について書いたことがある。→ 藤原宮の運河
榛沢郡以外の郡家、幡羅郡などでも、同様の方法で材木が運ばれたと推定するしかないが、その経路については、想定できるだけのじゅうぶんなデータがないのだろう。

■つづき ⇒ 『北武蔵の地域形成―水と地形が織りなす歴史像―』という本

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原という地形について

柳田國男は『地名の研究』で「野」という地名について、次のようにいう。

山・岡・谷・沢・野・原などという語を下に持った地名は、たいたいに皆開発の以前からあったものと見てよかろうが、その中でも実例がことに多く、意味に著しい変遷があったらしいのは「野」という言葉であった。
これは漢語の野という字を宛てた結果、今では平板なる低地のようにも解せられているけれども、「ノ」は本来は支那にはやや珍しい地形で、実は訳字の選定のむつかしかるべき語であった。
白山の山彙を取り繰らした飛騨・越前の大野郡、美濃と加賀との旧大野郡、さては大分県の大野郡という地名を見ても察せられるように、また花合せ・骨牌の八月をノという人があるように、元は野(ノ)というのは山の裾野、緩傾斜の地帯を意味する日本語であった。
火山行動の最も敏活な、降水量の最も豊富なる島国でないと、見ることのできない奇抜な地形であり、これを制御して村を興し家を立てたのもまた一つのわが社会の特長であった。
野口、入野という類の大小の地名が、山深い高地にあるのもそのためで、これを現在の野の意味で解こうとすると不可解になるのである。


■つづき ⇒ 原という地形について
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