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  文章は歌ふやうに綴れ    14/2/13
       (歴史的仮名遣ひは難しくない)   2/14(題名、1、3等改訂)

 このホームページが歴史的仮名遣ひで書かれてゐるのはなぜかの説明です。

 1、アヅマかアズマか?(現代仮名遣ひとは)
 現代仮名遣ひとは、戦後の学校教育や出版マスコミなどによって普及した仮名遣ひのことで、一部の例外を除いてなるべく発音通りに書くといふものである。例外とは、助詞の「は」「へ」「を」や、長音(例へば、こおり、なこうど、コード)などである。学校の試験ではこれを間違ふと×になった。
 助詞の「は」「へ」「を」は歴史的仮名遣ひのままである。同じコーと読む「こおり」と「なこうど」で表記が違ふのは、歴史的仮名遣ひのときに異なってゐたから(こほり、なかうど)である。いづれも歴史的仮名遣ひに基づいた書き分けである。本来なら、歴史的仮名遣ひを知らなければ書き分けられないはずのものなのだが、ほとんどの国民が自然にマスターし、当たり前のことと思ってゐる。実はこの区別ができれば、歴史的仮名遣ひのマスターまではあと一歩なのである。
 一方、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の書き分けについては、判断基準もあいまいなまま普及して行った。今でも「一つずつ」「きずな」「いなずま」などと書くのに抵抗のある人は、私の周囲に何人もゐる。熟語のうち語源意識の薄れたものは「づ」でなく「ず」が良いといふことらしいが、語源意識といふのも人によって異なるし、これでは「きずな」の語源は「生の砂」なのかと考へる生徒もゐるだらう。「稲妻」は漢字で書いても「いなずま」とルビをふるらしい。地名などの吾妻はアヅマで、東はアズマと書くのだともいふ。
 戦後の現代仮名遣ひは、決して意義の少ないものではないが、問題が多いのも事実である。その一点からだけでも、歴史的仮名遣ひが見直されるべきなのである。「ぢ」と「づ」だけ歴史的仮名遣ひといふ人もゐる。
 発音と表記を完全に一致させることは、所詮不可能なことである。方言などの微妙な母音なども、わづか50文字の仮名で書き分けられるはずもない。
 2、歴史的仮名遣ひの流れ
 歴史的仮名遣ひは、平安時代の中ごろ、つまり古今集の時代から源氏物語など女房文学全盛の時代ごろの仮名遣ひを基準とするものである。その後、日本語の発音の変化とともにこれが崩れ、時代ごとに藤原定家などのいくつかの仮名遣ひの法則が模索されたが、江戸時代の国学の隆盛のころから復元されて、明治以後の学校教育で正式採用されたものである。戦後の国語改革まで続き、戦後の日本国憲法までは歴史的仮名遣ひで書かれてゐる。江戸時代の本居宣長の仮名遣ひは明治のものとは微妙に異なってゐるが、歴史的仮名遣ひの範囲である。歴史的仮名遣ひは明治国家制度の遺風云々といふ理解は早計である。歴史的仮名遣ひは、定家以来数百年のよりよい日本語表記を追求してやまなかった先人たちのプロセスそのものであるといってよい。
 歴史的仮名遣ひとともに、われわれは文語表現を持ってゐる。表現の幅が広がることは、日本人の精神性にとって重要なことなのだといふ。その中心部には、和歌俳句がある。交通安全標語などにもよく文語が用ゐられる。「美しい日本語」といふ言ひ方は乱用したくはないが、極言すれば、日本人にとっての和歌や俳句をどう評価するかが分かれ目である。
 また、古い時代を理解するには、その時代の言葉を理解しなければならない。少なくとも古語の単語のいくつかは理解しなければならない。現代の言葉で、すなはち現代の基準だけで、古い時代を理解した気になってはいけない。言葉とは、表現の手段である前に、思考の道具であるはずである。
 3、ギヤウとゲヨエテの関係(歴史的仮名遣ひの現代化)
 さて、日本語には、古代から漢語の大量移入があり、同じ「行」の字でも、行列、行進、行燈、と読み方が違ふ。移入された時代の中国の発音が異なってゐたためで、それぞれ呉音、漢音、宋音と呼んでゐる。従来の歴史的仮名遣ひでは、ギョウ、コウではなくギヤウ、カウと書いた。しかし、現代ではここまで過去の外来語を忠実に再現する必要もなからう。人間の記憶回路の無駄であるし、西洋語のメリケン、ゲヨエテの表記に近いものがある。よく知られた川柳もある。
  ゲヨエテとは俺のことかとゲーテ云ひ
 漢語の音は現代仮名遣ひ風の表記でよいといふ丸谷才一氏の考へに賛成である。漢語は仮名では書かないのであまりこだはる必要はない。
 大正昭和時代の楡山神社社司の遺稿を整理して気づいたことは、一部の仮名遣ひが教科書風でなかったことである。「〜のやうな」ではなく「〜のような」とあった。「よう」の意味が「様」なら、漢音である。また「かうして」「さうして」ではなく「こうして」「そうして」とある。「さうして」と「そして」は別の語なのかといった分析はここでは試みないが、右(上)のやうな表記も許容されるべきである。
 また、仮名の問題ではないが、漢字はとりあへず新字を使用する(新版折口信夫全集も新字となった)。漢字の問題は東アジア共通の問題として語られる日が来るだらう。中国が日本の字体を幾つか逆輸入した例も聞いたが、それは日本の経済力が強かった時代の話である。
 小さく書く「ゃ、ゅ、ょ」は、和語の歴史的仮名遣ひでは原則としてはあり得ない。「っ」については意見が分かれるところである。「っ」は平安時代には省いて表記しなかったらしい。平安時代も発音通りではなかったのである。この表記が広く現はれるのは、東国武士が力をつけた時代からだと思ふが、とにかく、省いても良かったものなのだから、現代では小さく書くのも良いだらう。歴史的仮名遣ひで書けば、「いひ」と「いい」など、仮名だけででも区別される語が圧倒的に増えるが、「っ」を小さく書けば、さらに増える。「っ」は発音上からもT音とは限らないし、パソコンでのローマ字入力の時にT音を意識させられるのは思考の妨げとなるだらう。文章は歌ふやうに綴るのが良いと思ふが、手書きならともかく、Tのキーでは雑音になりかねない。いづれにせよ、現代仮名遣ひも個人の仮名遣ひを制限するものではないといふのが趣旨だったのだから、歴史的仮名遣ひは更に制限は少なくすべきである。巷では歴史的仮名遣ひは制限だらけといふ誤解もあるだらう。
 また世間の一部の人によくあるのだが、仮名遣ひの問題を「正しい、正しくない」の論調で語られるのは、少し控へていただきたいものだ。
 最近はパソコンの日本語IME(漢字変換機能)も歴史的仮名遣ひ用にカスタマイズが可能となってゐる。ちなみに歴史的仮名遣ひなら漢字変換のときの同音異字(同かな異字)は格段に減る。
 4、歴史的仮名遣ひで書かう
 わが国の和歌や俳句の伝統は、歴史的仮名遣ひを伝へてゆく重要な要素となってゐる。多くの国民が歌や句に親しんでゐる。歴史的仮名遣ひは大衆にはむづかしいと決め付けるのは、大衆に対する態度ではない。
 しかし、読む能力と書く能力は別である。個人への制限はないといっても、書く側は、書物に親しみ、基礎的な知識は身につけておかねばならない。
 それでも迷ってゐる君は、歴史的仮名遣ひで書くべきである。君はあと何年生きて、あと何年しかこの大事な日本語を使ふことができないのかを考へるべきである。
 書かない人も、和歌や文語を読む量は減らさないでいただきたいものである。


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