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  深谷市稲荷町3丁目 稲荷神社 ホームページ

 御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
 氏子区域 稲荷町 稲荷北(薬師堂) 寿町 天神町 田谷

 深谷上杉顕彰会の御好意により、近ぢか由緒掲示板を設置していただくことになりました。文は同会の荻野勝正さんによるもので、予定原稿は次の通りです。

「稲荷神社  康正年間(1455〜56)深谷に館を構えた上杉憲英は、館を鎮護するために一仏三社を勧請したと伝えられる。この話に出てくる「一仏」とは瑠璃光寺の寅薬師のこと、「三社」とは末広稲荷・永明稲荷・智方明神の諸社のことである。寅薬師と末広稲荷は城の鬼門守護、永明稲荷は同じく戌亥守護、智方明神は城内守護の社として祀られたものであった。当社はこの三社の一つ、末広稲荷のことであり、城下の発展に伴い、稲荷町の鎮守として、その住民から厚く信仰され今日に至っている。なお、別当は、当初、地内の東源寺であったが、文政年間以降は修験の宝珠院が奉仕し、神仏分離まで務めた。明治四十五年二月に田谷の永明稲荷合祀により、村社に昇格した。」

 例祭 4月16日、10月16日、 節分祭(2月3日)、夏祭(八坂祭、7月下旬)、神宮大麻頒布始祭、大祓(12月25日)
 当神社は、稲荷町の北部に鎮座する。町名はもちろん稲荷神社に由来するものだが、町の中心部は江戸時代に入って中仙道が開通した後に開けたもので、それ以前は、東部に接してゐた集落が氏子だったといひ、社殿も東向きだったといふ。
 現在の本殿・拝殿は、文政年間(1818〜30)に再建されたものである。本殿のみならず拝殿の向拝部分にも秀麗な龍の彫刻がほどこされてゐる。拝殿がこれだけ古い例は深谷地方には少ない。
 末社 天神社(祭神 菅原道真公)
 明治45年、田谷南速道の「深谷名木 高泰院の一つ松」の下に祀られてゐた天神社を移転したもの。大正7年には、大字西島稲荷周囲(当稲荷神社付近)の天神社が合祀された。稲荷周囲の天神社は、旧幡羅郡と榛沢郡の境界の意味から「郡分け天神」とも呼ばれた。