荒川扇状地と湧水

扇状地とは、「河川が山地から平野に出て、急に勾配がゆるく谷幅が広くなったところに、運んできた砂礫を堆積するために形成される緩傾斜扇状の地形」(ブリタニカ国際大百科事典)であり、「流水は透水性の大きい砂礫中に浸透し、(中略)浸透した水は扇端部で再び湧出するため、古くから扇端部に集落が発達した」(同上)と説明される。
関東第二の川、荒川は、埼玉県の秩父山地に始まり、秩父盆地を流れ、寄居町付近で関東平野へ出て、その先に扇状地が形成されている。東流する川の南側は丘陵地帯が多いためか、扇状地は主として川の北側へ形成された。
この扇状地は、今の深谷市、および熊谷市の一部へ広がっている。





略地図上に、扇形を描いてみた。東西に細長い形をしているのは、北側を利根川が削っていったためと思われる。
扇端部には、旧武蔵国幡羅郡榛沢郡の2つの郡家跡が発掘され、「古くから発達した集落」があっとことを裏づける。
幡羅郡家は、「別府沼公園」のやや南西、榛沢郡家は、扇形の西北の角あたりである。
江戸時代以後の中山道は、扇端部に近い台地上を通っている。中山道は国道17号線に重なる部分もある。
「浸透した水は扇端部で再び湧出する」とされる扇端部の湧水については、略地図上からは「別府沼公園」が確認されるくらいである。しかし別府沼より西では、深谷市原郷東方に湧水を確認できる地図が残され、榛沢郡家跡に河川跡が発掘されたというが、重要建物のすぐそばなので、増水の心配のない別府沼のような細長い湧水沼か運河のことなのだろう。東では、熊谷市の玉井という地名、奈良における上代の湧水記録などが確認できる。これらについては、別に述べる。
環境省ホームページ内に、「埼玉県の代表的な湧水」という一覧表がある。
https://www.env.go.jp/water/yusui/result/sub4-2/PRE11-4-2.html
以下は同ページからの深谷市内の湧水の引用である。熊谷市のものは一覧にない。


深谷市西島5丁目下台池公園市民公園内の池に流入。
深谷市西島5丁目瀧宮神社神社の境内内の池に流入
深谷市岡島護産泰神社神社の境内杉林の中から水路に流入。
深谷市普済寺厳島神社神社敷地内にある。水源地周辺は立入禁止。
深谷市本郷弘法の井戸弘法の井戸保存会によって整備された。
深谷市山崎弁天池用水組合により整備された。
深谷市永田八幡神社宮下の池八幡神社東側の林の中にある。
深谷市永田清水池周囲はけやきの大木が目立つ。
深谷市永田柳出井池地元住民によって整備されている。
深谷市永田不動の滝由来についての説明看板がある。
深谷市黒田黒田宮ノ台地内の池坂地にあり水が染み出している。
深谷市黒田豊栄神社昔は池があったが取り壊された。
深谷市田中清水湧水鯉の養殖用に使われていた。
深谷市田中見目湧水旧水道取水施設だった。

以上の14件のうち、平成合併以前の深谷市については、西島の2つのみである。熊谷市のゼロと合わせ、関心の薄さがわかる。西島の2つは、断層の影響も考えられるが、扇端部の湧水の範囲であろう。
旧岡部町の岡、普済寺の2つの神社のものは扇端部の湧水といえる
旧岡部町本郷「弘法の井戸」は、諏訪山の麓であり、山の水が主であろう。山崎「弁天池」は、山崎山の北、小山川の支流の近くである。
旧花園町は永田と黒田に6つ。関心の高さを伺わせる。
旧川本町田中に2つ。
詳細はあとで調べてみよう。
神社関係が多いのは、集落の中の聖なる場所として、湧水の出水地などが選ばれるためであろう。水を扱うルールも厳格なものとなるだろう。
ちなみに、利根川の北の群馬県側では、渡良瀬川が形成した大間々扇状地があり、大規模な新田湧水群がある。
「新田環境みらいの会」のホームページ
http://www7a.biglobe.ne.jp/?NITTA-MIRAI/yuusui/MAP2.pdf
次に、別府沼から西へ、湧水群をたどってみよう。《つづく》

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