旧暦歳時記 2

その2である。今後、追記の予定あり。

  • 7月 文月
  • 立秋
  • 涼風至(すずかぜ いたる)
  • 1 釜蓋朔日
  • 2 煤払 虫払
  • 3
  • 4
  • 5 栄西忌
  • 寒蝉鳴(ひぐらし なく)
  • 6 北野御手水(煤払) 秋の峯入 硯洗い
  • 7 七夕 乞巧奠 ねぶた祭 盆狂言
  • 8 文殊会
  • 9 浅草四万六千日(-10) 六道参
  • 10 清水千日参
  • 蒙霧升降(ふかききり まとふ)
  • 11
  • 12 草市(-13)
  • 13 迎火
  • 14 盆供 玉取祭(厳島神社)
  • 15 お盆 盆踊 三井寺女詣
  • 処暑
  • 綿柎開(わたのはな しべひらく)
  • 16 送火 精霊送 薮入り 閻魔詣
  • 17 応挙忌
  • 18
  • 19
  • 20 二十日盆
  • 天地始粛(てんち はじめてさむし)
  • 21
  • 22
  • 23 地蔵盆(-24)
  • 24
  • 25
  • 禾乃登(こくもの すなはちみのる)
  • 26 二十六夜待 御山洗(富士の雨) 道灌忌
  • 27 御射山祭(26-28諏訪)
  • 28 相撲節
  • 29
  • 30 宗祇忌
  • 8月 葉月
  • 白露
  • 草露白(くさのつゆ しろし)
  • 1 八朔 不知火
  • 2 出替 二日灸 二日月
  • 3 三日月
  • 4
  • 5
  • 鶺鴒鳴(せきれい なく)
  • 6
  • 7 弓張月
  • 8 世阿弥忌
  • 9
  • 10 西鶴忌
  • 玄鳥去(つばめ さる)
  • 11
  • 12
  • 13 彼岸入 大鳥祭(堺)
  • 14
  • 15 十五夜 月見 放生会(八幡宮)
  • 秋分 彼岸
  • 雷乃収声(かみなり すなはちこゑををさむ)
  • 16
  • 17 立待月
  • 18 太閤忌 居待月
  • 19 臥待月
  • 20 定家忌 更待月
  • 蟄虫坏戸(むしかくれて とをふさぐ)
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25 吉野太夫忌
  • 水始涸(みづ はじめてかる)
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 9月 長月
  • 寒露
  • 鴻雁来(こうがん きたる)
  • 1 更衣
  • 2
  • 3 御灯
  • 4
  • 5
  • 菊花開(きくのはな ひらく)
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9 重陽 後の雛 菊の節供 九日小袖
  • 10
  • 蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり)
  • 11
  • 12 広隆寺牛祭
  • 13 十三夜 土用入 長月の念仏(-15)
  • 14
  • 15 神田明神祭
  • 霜降
  • 霜始降(しも はじめてふる)
  • 16 芝神明祭
  • 17 神嘗祭
  • 18 穴織祭(17,18)
  • 19
  • 20
  • 霎時施(こさめ ときどきふる)
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24 逆髪祭(関蝉丸宮)
  • 25
  • 楓蔦黄(もみぢつた きばむ)
  • 26
  • 27
  • 28 秋の釈奠(孔子生誕)
  • 29 宣長忌
  • 30 神渡し
  • 10月 神無月
  • 立冬
  • 山茶始開(つばき はじめてひらく)
  • 1 開炉
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5 十夜法要(-14) 達磨忌
  • 地始凍(ち はじめてこおる)
  • 6 興福寺法華会
  • 7
  • 8 御会式(-13)
  • 9
  • 10 十日夜 案山子揚
  • 金盞香(きんせんか さく)
  • 11
  • 12 芭蕉忌 [初亥]炉開き 栂尾虫供養 [上亥]玄子餅
  • 13 御命講(日蓮)
  • 14
  • 15 下元の節
  • 小雪
  • 虹蔵不見(にじ かくれてみえず)
  • 16
  • 17 神在祭 江戸三芝居囃初
  • 18
  • 19 べったら市
  • 20 恵比須講 二十日夷 誓文払
  • 朔風払葉(きたかぜ このはをはらふ)
  • 21 大歌始(1.16まで)
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 橘始黄(たちばな はじめてきばむ)
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29 十月会
  • 30
  • 11月 霜月
  • 大雪
  • 閉塞成冬(そらさむく ふゆとなる)
  • 1 赤柏 大歌舞伎顔見世 神帰り
  • 2
  • 3 妙見祭礼(秩父夜祭)
  • 4 三大師
  • 5 饗のこと
  • 熊蟄穴(くま あなにこもる)
  • 6
  • 7
  • 8 鞴祭
  • 9 [上申]春日祭
  • 10 [酉]酉の市
  • 鱖魚群(さけのうを むらがる)
  • 11 生姜市
  • 12
  • 13 空也忌
  • 14 三大師
  • 15 油締 いざいほう(5日間) 髪置 七五三 鮭の大助
  • 冬至 冬至粥
  • 乃東生(なつかれくさ しょうず)
  • 16 [中卯]新嘗祭
  • 17
  • 18 鞴祭
  • 19 一茶忌
  • 20 恵比須講
  • 麋角解(おほしかのつの おつる)
  • 21
  • 22 報恩講(-28 親鸞) 近松忌
  • 23 大師講(-24) 霜月粥
  • 24 三大師
  • 25 神在祭
  • 雪下出麦(ゆきわたりて むぎいづる)
  • 26
  • 27
  • 28 報恩講(親鸞忌)
  • 29
  • 30 土穂供養(落穂)
  • 12月 師走
  • 小寒
  • 芹乃栄(せり すなはちさかゆ)
  • 1 乙子の祝 川浸り餅
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5 納めの水天宮
  • 水泉動(しみづ あたたかをふくむ)
  • 6
  • 7
  • 8 事始め(事納め) 八日吹 朧八会
  • 9
  • 10
  • 雉始雊(きじ はじめてなく)
  • 11
  • 12
  • 13 煤払ひ 正月事始 星仏祭 土用入
  • 14 蔵の市始まる
  • 15
  • 大寒
  • 款冬華(ふきのはな さく)
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19 仏名会
  • 20 蓑市 果の二十日
  • 水沢腹堅(さはみづ こほりつめる)
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24 蕪村忌
  • 25
  • 鶏始乳(にはとり はじめてとやにつく)
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29 小晦日
  • 30 大晦日 大祓 追儺 年越 節分
2019.03.25 月曜日 | comments (0) | - | 編集

旧暦歳時記 1

ごく一般的な旧暦の行事を表にしてみた。青字は月日は不定。
空欄を減らすため各地の行事を書き込んだ。一地域で多数の行事があるわけではない。
後日に詳細な解説を書くための下調べである。5月28日の「曽我の雨」は曽我兄弟の仇討の日のことで、こういう記念日的なものを増やせばもっと埋まるかもしれない。
おもに鈴木棠三『年中行事辞典』(東京堂)を参考にした。

  • 1月 睦月
  • 立春
  • 東風解凍(こち こほりをとく)
  • 1 元旦 恵方参り 初芝居 初日の出 若水汲み [上子]子日遊
  • 2 初夢 初商ひ 初荷 初買 仕事始 ひめ始
  • 3 芸事始め 
  • 4 寺年始
  • 5
  • 黄鶯睍(うぐひす なく)
  • 6 六日年越(粥たたき)
  • 7 七草 人日 鬼火祭
  • 8
  • 9
  • 10 十日夷(恵比須講)
  • 魚上氷(うを こほりをいづる)
  • 11 初山入 鍬始 蔵開き
  • 12 [上亥]摩利支天参
  • 13
  • 14 横手のかまくら 年越の祝
  • 15 小正月 なまはげ
  • 雨水
  • 土脉潤起(つちのしょう うるほひおこる)
  • 16 薮入り 閻魔詣
  • 17 左義長
  • 18 左義長
  • 19 おしら講 御忌(法然忌)
  • 20 二十日夷(恵比須講)
  • 霞始靆(かすみ はじめてたなびく)
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24 愛宕詣 亀戸天神鷽替(-25)
  • 25 天神祭
  • 草木萌動(そうもく めばえいづる)
  • 26 二十六夜待
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2月 如月
  • 啓蟄
  • 蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)
  • 1 閉炉 年重の祝
  • 2 如月の灸 二日灸 行基詣
  • 3 田植祭
  • 4 祈年祭
  • 5
  • 桃始笑(もも はじめてさく)
  • 6
  • 7 [上午]初午 薪能
  • 8 事納め(事始め) 針供養
  • 9 [上申]初申 春日祭
  • 10
  • 菜虫化蝶(なむし ちょうとなる)
  • 11
  • 12 [亥]春亥の子
  • 13 彼岸入 御水取
  • 14
  • 15 涅槃会 柱炬火 
  • 春分 彼岸
  • 雀始巣(すずめ はじめてすくふ)
  • 16 西行忌
  • 17
  • 18 十八粥
  • 19
  • 20 浅間祭
  • 桜始開(さくら はじめてひらく)
  • 21
  • 22 聖霊会
  • 23 太子講
  • 24
  • 25 天神講 雛市
  • 雷乃発声(かみなり すなはちこゑをはっす)
  • 26
  • 27
  • 28 利休忌
  • 29
  • 30
  •  [彼岸近い戊]社日
  • 3月 弥生
  • 清明
  • 玄鳥至(つばめ きたる)
  • 1
  • 2
  • 3 上巳 雛祭 磯遊び [大潮]潮干狩 山行 花見
  • 4 奉公人の年季交替(-5)
  • 5
  • 鴻雁北(こうがん きたへかへる)
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 虹始見(にじ はじめてあらはる)
  • 11
  • 12
  • 13 十三参 土用入
  • 14
  • 15 梅若忌
  • 穀雨
  • 葭始生(あし はじめてしょうず)
  • 16
  • 17 浅草三社祭(-18)
  • 18 人麻呂忌
  • 19
  • 20
  • 霜止出苗(しもやんで なへいづる)
  • 21 御影供 空海忌
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25 蓮如忌
  • 牡丹華(ぼたん はなさく)
  • 26
  • 27
  • 28 お札流し 宗因忌
  • 29
  • 30 炉塞ぎ
  • 4月 卯月
  • 立夏
  • 蛙始鳴(かわづ はじめてなく)
  • 1 更衣の儀 孟夏の宴 綿抜の朔日
  • 2
  • 3
  • 4 大峰入
  • 5
  • 蚯蚓出(みみず いづる)
  • 6
  • 7
  • 8 灌仏会(花祭) 馬の塔
  • 9
  • 10
  • 竹笋生(たけのこ しょうず)
  • 11
  • 12
  • 13 練供養
  • 14
  • 15 安居(結夏)
  • 小満
  • 蚕起食桑(かいこおきて くはをはむ)
  • 16 三井寺栴檀講
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 紅花栄(べにばな さかゆ)
  • 21 [中申]山王祭
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25 幟市
  • 麦秋至(むぎのとき いたる)
  • 26
  • 27
  • 28 八十八夜
  • 29
  • 30
  • 5月 皐月
  • 芒種
  • 螳螂生(かまきり しょうず)
  • 1 賀茂競馬足揃
  • 2
  • 3 菖蒲献上
  • 4 菖蒲湯
  • 5 端午 女の家 牛駈け 薬日 賀茂競馬 入梅
  • 腐草為蛍(くされたるくさ ほたるとなる)
  • 6 鑑真忌
  • 7
  • 8 道頓忌
  • 9
  • 10
  • 梅子黄(うめのみ きばむ)
  • 11
  • 12
  • 13 竹植うる日
  • 14
  • 15
  • 夏至
  • 乃東枯(なつかれ くさかるる)
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19 団扇撒き
  • 20
  • 菖蒲華(あやめ はなさく)
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24 伊勢神宮御田植 蝉丸忌
  • 25 有無の日
  • 半夏生(はんげしょうず)
  • 26
  • 27
  • 28 隅田川川開き 業平忌 曾我の雨
  • 29
  • 30 富士垢離
  • 6月 水無月
  • 小暑
  • 温風至(あつかぜ いたる)
  • 1 剥け返りの朔日 氷の朔日 富士山開き
  • 2 光琳忌
  • 3
  • 4 六月会
  • 5
  • 蓮始開(はす はじめてひらく)
  • 6
  • 7 祇園会(-14 八坂社)
  • 8
  • 9 鳥越神社祭礼 九度参
  • 10
  • 鷹乃学習(たか すなはちわざをなす)
  • 11
  • 12
  • 13 土用入
  • 14 那智火祭 祇園会
  • 15 江戸山王祭 
  • 大暑
  • 桐始結花(きり はじめてはなをむすぶ)
  • 16 嘉祥 月見
  • 17 厳島神社管弦祭
  • 18
  • 19
  • 20 信長忌
  • 土潤溽暑(つちうるおひて むしあつし)
  • 21 糾の納涼
  • 22
  • 23
  • 24 愛宕火 愛宕千日詣
  • 25 天神祭
  • 大雨時行(たいう ときどきにふる)
  • 26 二十六夜待
  • 27
  • 28 大山詣
  • 29
  • 30 夏越の祓
  •  道饗祭 土用の丑(鰻)
2019.03.24 日曜日 | comments (0) | - | 編集

子供の手習

北武蔵地名

江戸時代の手習塾(または寺子屋)で、子供が読み書きを習うための教本などで、有名なものはいくつかある。
『名頭字林』は、「原平藤橘」で始まる人名用漢字を羅列した内容であり、全国共通である。『江戸方角』は江戸と近隣の地名を羅列した内容だが、使用された地域は限定的ということになる。地方では地方の地名を羅列したものがある。冒頭の画像は、武蔵北部の地名と、いくつかの上州の地名が書かれた文書の断片である。

1行目は読みにくく、最初の「戸」は前行からのもので不明だが、
次に「三ヶ尻 十六間」とあり、武蔵国幡羅郡の村名である。
次の「新堀 玉ノ井」も同様。
更に「 小嶋(大里郡) 瀬山(榛沢郡) 河原明戸(大里郡)」も村名。
 このあたりは三つの郡が混在しているが、瀬山(武川村)は、吉田東伍によれば幡羅郡霜見郷に比定される。川原明戸と小島(大麻生村)は、荒川の流域変更で荒川北岸に変った村である。

「深谷 本庄」は中山道の宿場。それに続く宿場の「新町 倉ヶ野 高崎」は上州である。
「次 榛名 妙義 八海山」は上州から越後の山。

2019.03.19 火曜日 | comments (0) | - | 編集

村の職業

村の職業に、どんなものがあったか、明治5年の「商工職調」に記載のものを見てみよう。分類してみた。

1、金物など
鋳掛職  「鋳掛屋」鍋や釜の修理
馬鍬職  馬に引かせる鍬。堅い材木と金属で作る。
鍬物職  鍬など。鍬物とは鋤や万能などを含めたものか。製作や修理など
鍛冶職  「鍛冶屋」。金属製の農具の製作など。
2、木工など
付木屋  薄い木片に、硫黄を塗って燃えやすくしたもの
桶職   「桶屋」
材木屋  「木屋」製材など。
差物職、
建具職  「箱屋」。箱、机、箪笥などを作る
屋根職  「屋根屋」、萱葺、藁葺が主と思われる。「大工」はいない。
籠屋職  「籠屋」竹製の籠などの製作・販売・修理
?屋職  ?
3、その他
油絞り  「油屋」菜種から絞って菜種油を作る
髪結職  「髪結」、床屋・理容
質屋   金貸し
酒造濁酒 高級な酒ではないようだ。居酒屋も経営した例あり。
小間物  「小間物屋」日用品・櫛・簪など。売買が多いか
穀屋   穀物の売買

4、別文書で確認された職業
手習塾
修験

2019.03.14 木曜日 | comments (0) | - | 編集

天神講の紙の旗

『近世のこども歳時記』(歴史を旅する絵本、岩波書店、宮田登:文、太田大八:絵)という本をを見ていたら、「一月」のところに、
「今日は天神講です。朝早く男の子たちは「奉納天満大神宮」と書いた紙の旗を祠に収めてから、寺の本堂に集まりました」
と書かれていた。

子どもが「紙の旗」を納めるというので、すぐに思い出したことがあった。
以前に、古文書を保存してあった長持ちの中に、くしゃくしゃに丸めてあった紙のことである。

その紙は、長さ60cmほどで、子どもの下手な字で、

「天満大自在天神宮御ほぜん 明治二年四月廿三日」

と書かれてあったものである。


天満大自在天神遇
天神講の日に、子供たちが、学問の上達を祈って、紙の旗を納めるという慣習があったのだろう。
我が家のものは、二枚書いたうちの良いほうを納めて、一枚が残ったのかもしれない。

天神さまの祭は、1月か2月の25日が多いと思うが、毎月25日、または年何回かの25日というのもあるらしい。当地では4月25日にもあり、その2日前の23日に書いたもののようである。「御ほぜん」とは、「御宝前」のことだろう。

2019.03.10 日曜日 | comments (0) | - | 編集

江戸時代の農民の家計簿

江戸時代の『柳菴雑筆(柳庵雑筆)』という本に、ある農家の家計の概略が書かれている。
『江戸物価事典』で引用紹介されていて知ったのだが、原本を「国文学研究資料館」(https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/searchlist.php?md=thumbs&bib=200020209) のサイトで見ることができるので、そちらも参考にしながら書いてみる。

そこに書かれている農家の規模は、耕作する田畑の面積でわかる。
1町歩の田と、5反の畑があり、これはほとんど専業農家といえる。

田が1町歩というのは、規模は大きいほうだが、借地である。
田に稲の種を1石ぶん蒔き、収穫は籾40石、脱穀すると米20石となる。
20石のうち、年貢と諸負担で5石、地主へ5石を納め、残り10石が実収である。
年貢は、1町歩の基準量10石程度(収穫量ではない)の4割の4石程度のほかに、若干の諸負担というのがある(助郷などの金銭負担などが予想される)。地主へ5石とは、小作料のことで、年貢関係と同額となっている(この本以外の他の例では、もっと安い小作料の例もある)。

畑は5反である。
収穫は大根のみで、2万5000本という多量だが、あるいは実際例ではなく概略を説明するために単純化して表現したものかもしれない。野菜(大根)の売上は135貫文ほどだが、経費である肥料代・船賃・運賃を差し引いて、28貫750文が、野菜(大根)の実収入である。
他に麦が6石ばかり(畑3反にて)。
野菜の金額の単位は貫と文だが、船賃だけが2両2分で単位が異なる。差し引き計算では船賃を文に換算して計算したようであり、1両=6500文としている。(500単位が区切の良いものと見なしたための数字だろう。私は実際に近い1両=6400文としている、6400文なら、1朱=400文となるので暗算によってさまざまの計算がしやすい)
28貫750文の野菜の収入から、年貢を3貫文納めるという。残りは25貫750文となり、これは前記の換算法で、ほぼ4両になる。麦を売ればもっと増えるだろうが。
畑の年貢は、5反で3貫文(3000文)であり、1反あたり銭600文になる。
米1石=1両とすると、田の年貢は1反あたり0.4両(2600文)ほどなので、畑の年貢はかなり安く、田の年貢の1/4以下である。

田畑の年貢・諸負担等を納めた残りは、
米10石、麦6石、現金4両、これが全てである。
麦の価格は、『江戸物価辞典』の別項によると、米の90%または90%弱といったところ。
米と麦を現金化すれば、15両余り、野菜の4両とで、合計19両余になる。

ただし米10石と麦6石のうち、夫婦の主食として消費される分がある。
麦はほとんど食糧として消費される。
夫婦で、麦3石6斗、米1石余。
日雇が、麦1石8斗、米5斗。と書かれる。……江戸物価事典(133p)の「五升」は間違いで、原本は「五斗」である(画像参照)。日雇人の量を2倍すると夫婦(2人)の量になる。
ほかに雇人には給金として1両2分を支払う。雇人の食費の麦1石8斗と米5斗は、金額で2両と少々。合計で4両弱が雇人にかかる。
家族に子供があれば一人9斗ほど消費するという。

そのほかの米の消費は、正月の餅が3斗余、親類友達にふるまうのが2斗。
別に来年用の種籾として1石を確保(種籾の量か、米に換算した量か不明)。
米10石から、消費する米と種籾のぶんを差し引くと、7石2斗。これを売ると7両余になる。野菜収入の4両と合わせて、11両余の現金が残る。

次に、家計の支出について。
 塩・茶・油・紙 2両
 農具・家具   2両
 薪・炭     1両余
 衣料      1両2分余
 年末年始節句忌仏等入用 2両余
 親類友人交際費 1両

これでお金はほとんど残らないという。
健康を損なって仕事を長期に休めば、収入は減る。「これにて農夫の辛苦を知べし」という。

贅沢ができる暮らしではないが、食費を除いて11〜12両の家計は、新しい衣料も購入できる普通の暮らしではあろう。
親類友人関係の支出には、援助の性質の支出があるので、逆に援助される年もあるだろう。

蛇足ながら、夫婦が1年で食べる米麦が、4.6石余ということについて。
一人分は、2.3石、これは1日で6.3合になる。
宮沢賢治の有名な詩(雨ニモマケズ)では、「1日4合の玄米」とあり、この場合、100日で4斗、365日で14.6斗つまり約1.5石である。
夫婦の一人2.3石は多めだが、副食費などを説明から省いたために、多めなのかもしれない。
ちなみに大工の日当350文は、月20日働けば月収1両と少しになる。年13両ほどだが、ここから食費と家賃などを支払う。年貢は大家が納める。
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2019.03.06 水曜日 | comments (0) | - | 編集

氏神(屋敷神)について

『屋敷神の研究』(直江広治:著)という本に、埼玉県の「県北地方」の2例が、研究雑誌などから、引用・紹介されている。

○大里郡男衾村(現寄居町)富田 字上郷
 どの家にも屋敷の左後方に「ウヂガミサマ」の祠があり、正月に幣束をあげる。祭神は部落の鎮守様である天神様もあれば、稲荷さんや八幡様などもあって雑多である。イッケ(*)内でも、新宅のウヂガミサマは本家から分祀するものとは限らず、各戸に家の守護神として、必ずなくてはならぬものとしている。(*一家、同苗の一族)
 男衾村から小原村、吉岡村にかけて、大里郡は大体屋敷神をウヂガミと呼び、新しい分家もこれを盛っている地帯のようである。村氏神の方は、鎮守様、あるいは祭神名で呼んでいる。
○秩父郡地方
 日野沢村(現皆野町)では、たいていの家で屋敷内の多くは戌亥の隅に「ウヂガミサマ」(ウチガミサマともいう)の小祠を祀っている。霜月十五日が祭日で、幣束を立てて赤飯を供えて祀る。沢部部落では、ウヂガミサマは遠い先祖を祀ったものだといい、ウヂガミサマのついた屋敷を三屋買い取ると、その家は絶えるものだと言っている。この辺では村氏神のほうは、ウブスナ様あるいはチンジュ様と呼んでいる。
 また同郡浦山村でも、各戸屋敷の西北隅に、多くは大木の下に屋敷の神様を祀り、これをハチマンサマと呼んでいる。

主要部分については、この地方では、上記の通りである。
しかし微妙な点もあるので、いくつか確認してみる。

屋敷神の祭神について「部落の鎮守様である天神様」とあるのは例外的で、祭神は不明、または稲荷様であるというのが多数である。これはどこかの稲荷神社の分祀というのではなく、地主神としてのイナリであろう。イナリ様とカタカナで表記したほうが良いかもしれない。
「八幡様」ともあるが、これは若宮八幡、または若宮様のことであり、ウヂガミ様の脇に配祀されることが少なくない。若死にした者を祀ったことから始まったする見解もある。
「雑多である」というように、源為朝というのを見たことがあるが、為朝は江戸時代に子供の疱瘡除けの神として広まったことから、床の間に祀った為朝を快癒後にウヂガミの脇に遷した可能性も考えられる。他に小数の例だが、金毘羅様、三峰様などを、ウヂガミ様と並べて祀る例もあるようだ。

祭日については、他地域の例をみても、それぞれである。「霜月十五日」というのもあるのだろう。「正月に幣束をあげる」というのは、年を迎えるために年末に供える。神棚の伊勢の大神宮様のおふだを新しくし、氏神様にも幣束を祀り、餅などを供える。幣束はカマドなどにも祀り、正月を迎えるための多数の幣束を、釜締め(かまじめ)と総称する。大里郡南部方面などでは、キリハギと呼ぶところもあるが。「ハギ」とは東北地方のナマハギのハギと共通の言葉かもしれない。

屋敷神は、大木の下に祀ることが多かったろうが、近年は樹木そのものが少なくなっている。
宮の形式は、藁宮ともいい、藁を幅1〜2尺ほどの薦状に調え、前方を2本の細い柱で持ち上げる程度のものだった。四方に4本の柱の所もあったらしい。いつのころからか、小さな木造の流造など御宮を作り、あるいは石宮を作り、しっかりした土台の上に設置するようになっていったが、戦後の高度成長期以後のことである。

ウヂガミとウチガミのどちらが本来なのかは難しい。東北地方では、オツガミなどと聞えるところもあるという。東海地方などで、地ノ神(ヂノカミ)、ヂガミと呼ぶのは、ウヂガミのウが取れただけかもしれないが、何ともいえない。

 屋敷神をウヂガミ様、またはウチガミ様と呼ぶ地方は、同書によれば関東から東北地方にかけての大変広い範囲である。他に南九州、三重県志摩地方、岐阜県の一部などがそうであるようで、同書を詳細にチェックすれば分布地図も作れるだろう。
 逆に、屋敷神をチンジュ様と呼び、村鎮守をウヂガミ様と呼ぶ地方が、長野県や岐阜県などにあるが、多くはない。

 村鎮守を「氏神」と呼ぶのは、いわば小数派である。しかし、明治5年の新戸籍(壬申戸籍)の下調帳には、江戸期の人別帳と同様に、一戸ごとの菩提寺の名が記載され、ほかに「氏神」としての神社名を記載した例が多数ある。おそらくこれは全国的な記載法だったのだろう。鎮守という言葉は、「村の鎮守」とは言うが、「○○家の鎮守」とは言わない。そこで「○○家の氏神」という意味で、「氏神」が戸籍の用語として広まったと思われる。その後、公文書などでは、従来の鎮守の意味でも、氏神という用語を使うことが多くなっていったのではあるまいか。
「屋敷神」という言い方は、研究者による分類名の感があるので、今後も、民間では、祀る家の先祖につながる「氏神」という名で呼ばれるのだろう。

2019.03.02 土曜日 | comments (0) | - | 編集

長頭と短頭

頭長幅指数の分布

 子どものころ、我が弟の頭は、正面から見ると普通なのだが、横から見ると、やけに大きく見えたのだった。後頭部が良く後ろに出ていて、前頭部の額は、上部がよく出ているが、私のほうが出ているかもしれない。兄弟なので、よく似ているらしい。

 頭が前後に大きいのを、専門用語では「長頭」という。左右の幅と前後の長さとの比率(パーセント)、「幅/長」が、81以上を短頭といい、76以上が中頭、76未満が長頭というそうだ(小浜基次による)。日本人の頭は、短頭から中頭までの広い範囲に分布し、単一民族にしてはパターンが非常に多様であることから、混血民族だろうとする説がある。

 自分の頭を計測してみようと思ったが、たまたま形の堅い冠り物があるので、それを測ってみると、およそ幅15.5cm、長19.5cmほどだが、後頭部はもっと低い位置が出ているので、最大長は20cm以上はある。20.5とすると指数は75.6の長頭である。この数値は、現代日本人の中でも大きいほうで、小浜基次著「形質人類学から見た日本の東と西」によると、「混血アイヌ」に近い。ちなみに父もほぼ同形であることが判明している。

 関東生れの長頭なので、やはり蝦夷の末裔かとも思える。しかし、山口敏『日本人の生い立ち』などによると、同じ日本人でも時代によって変化してきた経緯があり、中世から近世にかけては、発掘物などから、日本人は長頭の傾向があったという。同じ時代には体格も小柄になっている。一説には、通婚圏が狭くなった時代の特徴ともいうが、長頭については西洋では逆のデータがあるので、そうでもないようである。

 徳川の15人の将軍の遺骨の調査によると、どの将軍の容貌も、当時の一般人とは異なり、頭が大きく、長頭で、鼻が高く、顔は細く面長だったそうである。大きな長頭ということでは蝦夷と同じ傾向だが、面長で歯も出ていないのは、近代人のようでもある。
 ちょうど喜多川歌麿の描く美男に似た顔立ちである。ただし歌麿の絵は、短頭で、頭は小さい。現実よりかなり小さい頭に顔の表情を描くために、後頭部はより小さくなり、短頭ばかりということになってしまうのだろう。

図は前掲の小浜氏による分布図。畿内と周辺・瀬戸内地方に短頭が多い。

2019.02.27 水曜日 | comments (0) | - | 編集

東と西、国有林の分布

国有林の分布

 東日本と西日本の特徴を示す地図。国有林の分布図である(林野庁サイトから引用)。
 上戸と下戸の地図によく似ている。しかしこの地図は、1000年以上の長い年月をかけて成り立ったものではない。概ね明治時代の短期間に、政治の力によってできあがったものである。

 日本は平地の少ない山国である。山林は東にも西にも普く分布している。西日本には私有林が多いだけの話だ。
 東日本では、戊辰戦争のときに奥羽越列藩同盟が敗れ、その地域の村の入会地などの山林が、明治政府によってことごとく没収され、国有林となった。明治時代以後の「貧しい東北の村」のイメージは、資源でもあった山を失ったこのときから出来上っていったものであると、『風土記日本』(宮本常一他編)という本で指摘されている。

 上戸下戸の地図と比較して、微妙に異なる部分もある。
 東では、関東地方で少ないのは、平野が広く開発が進んだこともあろう。大正時代以後の変化もありうる。
 西では、岐阜県北部の飛騨地方に多いのは、「飛騨の匠」で知られる伝統的な産業との関連か。九州南部で、鹿児島県西部の薩摩地方が少ないのは、薩長政権といわれる政権の意志によるものだろう。

 気になるのは、江戸時代において「山林は将軍のものである」という考え方や意識があったと、ある学者の本にあったのだが、その背後にあるものはわからないが、明治初年に村の入会地(山林)が上地されることに抵抗が少なかった原因の一つにはなったのだろう。そうした意識は、鎌倉の将軍以来、西国にはあまり影響を及ぼさなかったものなのかもしれない。。

2019.02.26 火曜日 | comments (0) | - | 編集

東と西、上戸と下戸

全国酒豪マップ

 軽い話題を一つ。
 日本列島では東日本と西日本で、人種が異なるかのような対比を示すことがある。そのことについては、司馬遼太郎、大野晋、網野善彦など多くの著作がある。
学者の本ではあまり触れられることはないかもしれないが、酒についての上戸・下戸の問題がある。
 日本経済新聞社のサイト(全国酒豪マップ)で、県別に色分けされた地図が示されていた。

 この図は原田勝二氏による遺伝子分析に基づいたもので、酒に強い遺伝子の出現数を色分けしたものとのこと。出現数の多い県は濃い赤色になっている。
 一目瞭然、フォッサマグナを境に、東は強く、西は弱い傾向である。ただし沖縄・南九州と南四国は、東日本と同じ傾向であり、これは冒頭に述べた学者の本でも指摘されている傾向で、俗に、東が縄文系、西が弥生系の文化の残存が大きいともいわれる傾向でもある。「西の稲作文化」という視点でみると、東では米の清酒以前から酒類が普及していたことになる。
(酒の一人あたり消費量を元にした色分け地図もあるようで、概ね似た地図である。)

 しかし、ヨーロッパやアフリカ地方を100とすると、日本人の平均は56という低さであり、世界でもかなり酒に弱い民族である。日本に近いのは中国で59、韓国も71と低い、東アジアは下戸が多いらしい。このへんのところは、下戸の多い民族であるので、社交上、注意を要するところである。

 筆者については、当家の何代か前にかなりの酒豪がいたと聞いているが、自分は胃が弱いため、胃が先に負けてしまうので、酒を「快」と覚えたことはない。

 蛇足だが、埼玉が強く、群馬が弱いのがよくわからない。埼玉では秩父地方が強いとは聞いたことはある。群馬は、かかあ天下のせいでもあるまい。

2019.02.25 月曜日 | comments (0) | - | 編集