戦後高度成長期の江戸時代観

【古文書倶楽部2017-6】
河出書房『日本生活文化史 5 動乱から秩序化へ』(1974)について 2

大石慎三郎以外の執筆者のものを読むと、呆れるほどの所謂江戸時代暗黒史観の空気に忖度しただけの内容なので、実に情けない。
暗黒史観の空気への忖度、というか、
日本では「地域活性化」を一つ覚えのように繰返す地方行政とマスコミがあり、それへの忖度が、徒弟制度的学派の中で、大量の旧石器捏造事件へとつなっがった事実もあるわけである。

一つ感じたことは、明治以後の各時代における「江戸時代観の変遷史」を本にまとめることができれば、江戸時代観の誤りがわかりやすくなるということだ。
河出書房のこの本の場合は、1960年代ごろの江戸時代観である。
それはつまり、江戸時代の村では「武士は横暴を極め、過酷な年貢を収奪されて農民は常に餓死寸前。生活の隅々にわたるまで規制を受け、(なぜか贅沢の話になるが)絹の着物などはきつく御法度、生活の細部にいたるまで五人組制度で密告させた」というのだが、
1960年代の若者がこの本を読んだら、村社会は不自由で陰湿でイヤだな、村には住みたくないと思うわけである。
一方、江戸の都市生活については、あまり具体的なことは書かれず、成功した大店主の苦労話などの伝記物語が書かれ、三井などの大店の社内訓のようなものが紹介され、奉公人でも辛抱すればいつか手代くらいにはなれる、辛抱が大事だと書いてある。

1960年代は、農村出身の若い中卒労働者は「金の卵」と呼ばれ、彼らが村を捨て、集団就職などで大挙して都市に移住して賃金労働者となるように促すことは、一種の国策であったといえる。本書は、そのような国策を普及させるためには、見本のような内容の部分が実に多い。よく読むと、華やかな都市生活者はいるが、全ての都市生活がバラ色だとは書いてない。辛抱が大事だと書いてあるのである。しかし農村に希望を見出すようには決して書かれない。
農村生活が嫌いになるようにしむけるのが、戦後の高度成長期における江戸時代観の特徴なのだろう。(1973年の石油ショックを機に、変化のきざしが少し見えてはいた。)
1976年のロッキード事件を境にして、江戸時代には賄賂政治が蔓延していたかのような国民意識が作られようとしてきた。時代劇では、国民は、一方では賄賂政治を懲らしめるヒーローに酔い、一方ではいつの時代も同じだったと諦めさせられた。テレビドラマの『水戸黄門』は1969年に始まっているが、初期のころには賄賂政治の話はなくユーモア小説の感があった。

明治初期の政府の役人たちがいうことには、「わが国には歴史というほどのものはない。歴史はこれから自分たちが作るのだ」とのこと。江戸時代のことは無視というか、無知なだけかもしれないが、江戸時代のどこがどう悪いという論は明治初期にはあまりなかったかもしれない。
その後、どのようにして虚構が作られ、江戸時代観は変遷していったのか、厳密に調べてみる必要があるだろう。
天保の飢饉などが誇張されていった過程についても、確認する必要がある。それは国定忠治などのやくざ者がヒーロー化するプロセスでもあったかもしれない。
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