楡の森の掲示板過去ログ平成15年
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忠臣蔵雑談 Yanase  2003/12/15 (月) 16:47 No.144

 忠臣蔵についての巷でのおしゃべりは、話し手も何故か熱がこもり、中身の問題はともかく、なかなか楽しそうでもある。
 ところで歴史学者や考証家の話では、江戸時代には、賄賂や悪代官はほとんどなかったらしい。田沼意次の件でさへ微々たるものであったといふ。しかし吉良家が石高は低くも位が高いといふのは、教授料などの収入があったのだらう。茶道を始め専門知識を尊重して対価を支払ふ文化的な慣習は賄賂ではないだらう。
 考証家の稲垣史生氏によると、浅野家は勅使饗応役は二度目であり、物価の高騰にもかかはらず前回並みの予算額で行はうとした(前年の他家との比較は不明)といふ。また、松の廊下の事件のあった年の元旦、各藩の江戸登城中に皆既日食があり、大混乱となったが、浅野家だけは科学的に解釈して平然と登城した。浅野家のこのような合理的な解釈は、山鹿素行の学問の影響によるものらしい。
 勅使の接待で重要なのは、田舎風の成金趣味の贅沢ではなく、歌や学問などが基本だと思ふが、当時のイデオロギー的な対立について調べるのも面白いかもしれない。新しい檀家制度普及初期の宗教的混乱の時代で、殉死の風も色濃かった時代、そして山鹿素行・・・。京都と徳川との間にはなにか思想的な対立があったのではないか。お家断絶と引き替へに刃傷に及んだ理由は、徳川より高い価値によるものしか考へられないのだが、何によるものなのだらうか。


公明党の問題 編集係  2003/10/29 (水) 17:01 No.138

 10月の上野台八幡神社の三日間の例大祭では、市民派や日本共産党系といはれる市議のかたがたまでの参列をいただき祭礼を盛り上げていただきました。市民派の中には他の政党に近いかたも含まれるかもしれませんが、公明党系の人だけが含まれません。他の地域でも似たようなものと思はれます。地縁組織の強い日本とは異なるフランスあたりでは一般に、公明党の支持母体の創価学会はカルト教団と認識されてゐます。
 若い人たちが、神社や日本の古いものを理解し安らぎを覚えるのなら、このことの意味を自分で調べ、よく考へ、自分で判断していただきたいのです。
 昭和40年に言論妨害に屈せずベストセラーとなった藤原弘達著『創価学会を斬る』では既に次のように述べられてゐたことには驚いてしまひました。(週刊新潮より)
「創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないか。」
「もし自由民主党が過半数の議席を失うようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う」


小雨そぼふる弥彦詣で 宮司  2003/10/06 (月) 21:01 No.135

越後の弥彦神社を総代諸氏とともに参拝。大粒の雨が降り出したかと思ふと、すぐに弱まって小雨そぼふるころに到着。社殿に昇るころは晴れ間が見えて日が照り始め、こういった天候はこの地では多いとは御案内いただいた神職さんの説明。
いやひこの、おのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そぼ降る(万葉集)
例にもれず弥彦村には町村合併の問題があり、控室に備への用紙に新市名「弥彦市」を数名で応募(投票)。インターネットでの新市名の投票も次のアドレスから可能ですので協力いただける方はお願ひ致します。
http://www.ash.ne.jp/~info-g/newname.html


折口信夫没後50年 宮司  2003/08/28 (木) 16:23 No.132

9月3日は折口信夫の50回めの命日です。
詳細は石川県羽咋市の広報を御覧ください(pdfで3ページ)
http://www.city.hakui.ishikawa.jp/topjp/kousitu/koho/pdf/2003/08/hakui03-05.pdf


無題 Yanase  2003/08/26 (火) 00:14 No.131

つづきですが
戦前に流行した日朝同祖論イデオロギーの影響下では、日本語アルタイ語系統説なども登場し、戦後の歴史家の騎馬民族国家説もこの延長のものであると見破られてしまったようです。大陸への憧れだけを誇張した流行歌も多かったようで、たまたま歌曲として出来の良い歌が多かったこともあり、庶民レベルではいまだにその幻想が息づいてゐるのかもしれません。ナンデモ朝鮮起源論には要注意です。


楡山神社について N  2003/08/02 (土) 14:48 No.129

詳細なご説明ありがとうございます。
誤った知識から大変失礼なことをしました。
公なHPなので間違えであるいじょう前レスは自分で削除します。
ご意見参考にさせていただきます。


回答 編集係  2003/07/30 (水) 21:12 No.128

 深谷市北部の新戒(しんがい)地区の鎌倉期ごろの武将に新開氏があり、この氏族が秦氏と関係が深いといはれますが、広く影響力があったかどうかはさだかではなく、秦氏の伝承も新開氏だけのもののようです。妻沼町聖天宮の斎藤実盛の伝承からしても、平安末期〜鎌倉初期になって初めて利根川べりが人が住めるように開発されたのだと思はれます。
 旧郡名の幡羅は古くはハラと読み、秦とは全く通じません。羅の字にとらはれて朝鮮半島との関係が云々される場合も根拠は皆無です。幡羅郷の地名は全国に数ヶ所ありますが、同じ読みなので同じ字が当てられたにすぎないものです。唐沢川が関連して云々されるのも、カラの音にだけこだはったこと以外に根拠は見あたりません。
 神社周辺には、平安中期に幡羅太郎道宗の勢力があったと思はれますが、この子孫が成田氏です。幡羅にゐたときだけ幡羅太郎を名のったわけで、幡羅(ハラ)がそのまま苗字として定着することはありませんでした。
 掲示板で多数の人の目に入りますのであへて申し上げますが、質問者の記述内容は間違ひが多いので、当ホームページの該当部分や、博字堂さんのホームページに紹介されてゐる資料などをお読みいただければと思います、


素朴な疑問 s  2003/06/19 (木) 11:10 No.124

本社後方に塚があり、これを犯すものに災害があるといわれ、「不入の地」というらしい。
いち人や、神の姿ににれ山の、入らずの森は奥処知らずも

楡山神社に関するサイト等で上記の文章を見ますが、「塚」とはどの部分を指すのでしょうか。
大物主神社周辺は、こんもりと土が盛り上がっていますが、その場所のことですか?


Re: 素朴な疑問(社殿後方の"塚"について) Yanase  2003/06/20 (金) 15:05 No.125

 社殿後方の森の奥にかつて塚があったのは複数の記録によって確かなようです。周辺の木之本古墳群とも深い関りのものなのかもしれません。しかし、塚を実際に見たことがあるといふ人は20年前にも存在しません。20年前の古老の年齢からして少なくとも大正時代には既に塚はなかったようです。では何故なくなったかといふに、氏子住民たちによる破壊は全くあり得ないことです。そこで考へられる可能性は、次の一つだけだと思ってゐます。
 すなはち、明治の初めに、森の奥の大部分が上地令によって国有林に編入され、国によって伐採がなされたときに崩された可能性が高いといふことです。奥の森は大正初年に買ひ戻されて再び植林がなされましたが、昭和初期の写真を見ても、社殿後方には細いまばらの木々があるのみで、隙間には空さへ見えてゐます。
 「不入の地」であったためか、だいだいあのあたりだったといふ口碑もないようです。
 末社の「大物主神社」は元は小さな社殿があったのですが、何らかの理由で再建されずに石が置かれたもののようで、塚のあった場所ではありません。


靖国神社 yanase  2003/05/07 (水) 12:56 No.123

素朴な疑問> 戦没者の霊はお寺でなく靖国神社など神社でまつられるのは何故ですか?

答> お寺でも祀られてゐるものとは思ひますが、近代日本人の信仰では、お寺では私的な供養の色彩が強く、また供養専門の場所と受けとめられがちです。宗教色を除いた国営の礼拝施設を作るべきといふ意見も国民の一部にあるようですが、供養専門の施設ではなく、豊作祈願の春祭に始まる季節ごとの神社の祭のなかで、それぞれの霊を自然の霊とともに祀り続けることが、戦没者の霊の靖らかに鎮まりたまふ道であると思ひます。少々の政治的問題はあるかもしれませんが、こうした「生きた信仰」を大切にしてゆきたいものです。


伊勢神宮の神棚(宮形) Y  2003/04/09 (水) 13:41 No.122

伊勢神宮で授与される神棚の宮形について、入手法などの問合せがありました。
参拝のときに受けて宅配便の手配をお願ひする人もあるようです。
神宮会館ホームページの「記念品」の欄に、詳細な案内がありますので、御覧ください。
http://www.jingukaikan.net/hanpu/top.htm


神社オンライン 神奈備  2003/03/31 (月) 20:29 No.118

 ノートの名前が変わりましたね。書きやすくなったような気がします。
 この前、神社オンラインネットワークと云う神社本庁からは異端にまでいかない虫けら程度の比較的若い神職さんの団体のオフ会に参加そてきました。勿論一般の部です。
http://www.jinja.or.jp/
 この組織は特定の個人が発案したもので、いささか問題もなしとはしないのですが、今回の幹事役が知り合いだったこともあり、顔を出しました。

 神社のHPについてのシンポジュームに突然コメンテイターとして引っぱり出されましたが、最近の神社HPは地域の歴史などの記述がなされており、また巫女さんの絵がピコピコと踊るのも少なく、またお神籤やお守りの通信販売も少なくなってきまして、格調が高くなっているように感じます。
 従って、たいして注文をつけることはなかったのですが、
1.検索にかかりやすいこと、表紙でのテキストベースの情報量の多さ
2.御利益をきちっとかいて、これからの検索に耐えうること
3.神主のコメント、時事問題などへの独断的意見でも
4.まさに掲示板的なものをつくり、親切な対応が望まれること
などをお話ししました。


Re: 神社オンライン 宮司  2003/04/04 (金) 00:55 No.119

ホームページのありかたについての御意見・御助言あり難うございます。

> 1.検索にかかりやすいこと、(文字の)情報量の多さ

文字が多ければ検索の網にかかりやすいわけですから、一部に言はれる「絵を多くして文章は少なめにしたほうが読んでもらへる」とするのは違ひますね。一度で読みきれるなら、一度しかアクセスしない人も多くなります。

> 2.御利益をきちっとかいて、これからの検索に耐えうること

小さな鎮守さまでも、郷土の先人たちが築いた歴史や由緒は、それだけでその神社にしかない御利益なわけです。

> 3.神主のコメント、時事問題などへの独断的意見でも

当HPは時事問題が弱いですね。反グローバリズムの視点で考へ中だったこともあり、この書込みページを3〜4日見ませんでした。

> 4.まさに掲示板的なものをつくり、親切な対応が望まれること

掲示板ももちろん重要ですが、こみいった質問などはよくメールで来ます。質問する人は「神社の宮司さんへの質問」といふ意識のためか、本名で住所番地も書いてあります。匿名のような掲示板では失礼と感じられてゐるようです。質問は掲示板に書き込んで、メールで「本名だれそれです、宜しく」などと書いていただけると有りがたいのですけどね。
最近、更新が少ないので少しピッチを戻さないといけません。


Re^2: 神社オンライン 玄松子  2003/04/07 (月) 12:28 No.120

お久しぶりです。表紙の背景が、味わい深いものになりましたね。で、ちょっと一言。

> 一度で読みきれるなら、一度しかアクセスしない人も多くなります。

神社のサイトは、アクセス数で評価されないのでは無いでしょうか。
年に一度のアクセスでも、内容がすぐに理解できることが重要だと思います。

その神社へ行くにはどうすれば良いか。駐車場は。トイレは。
足が不自由でも大丈夫か。などといった、誰に対しても参拝の手助けになる案内・説明が、まず大事だと思いますが。


Re^3: 神社オンライン 宮司  2003/04/07 (月) 18:11 No.121

一生に一度の接触でも、確かにその人にとって深く印象に残ったり、重要な意味をもつ場合があります。
境内などで口頭でこちら(神職の側)から説明する場合もその一つです。しかし申し訳ないことに、こちらの記憶からはどんどん薄れていってしまふものが多いのが現実です。
ところがメールなどでいただいたものは、削除しない限り残り続けます。このへんが難しいところですね。


年越祭、節分祭への謝辞 宮司  2003/02/06 (木) 01:32 No.116

 楡山神社の年越祭、浅間神社、稲荷神社の節分祭は、関係各位の御尽力により本年も盛大に斎行されました。
 地域の人々の力の結集は、遠い先祖までさかのぼる伝来の力ではありますが、今現在の人々の生き生きとした表情に接するだけで、この年の幸を確信できるものがあります。
 多数の参詣者を含め皆様の良い一年を、大神様への感謝をこめてあらためてお祈り申し上げます。 平成十五年立春


苗字について yanase  2003/01/21 (火) 00:17 No.115

 自己の姓氏の由来などを研究されてゐるかたからのメールが、半年で3〜4通ありました。故郷の風土などへの再認識のきっかけになってゐるかたも多いようで、当HPの内容が参考になったといふ言葉などもいただき、嬉しい限りです。
 次のページに明治末期における大字原郷の地図と苗字別氏子数があります。
../kyodo/map.htm


迎春 宮司  2003/01/03 (金) 13:38 No.112

 平成十五年となりました。おめでたうございます。

 ホームページとしては、本年は年中行事など、身近な信仰であり、かつ忘れてはならぬものについて、特に取り上げて行きたいと考へてをります。