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「楡の木影」

  「楡の木影」 目次
表紙
 発刊と配布にあたって
 はしがき
第一章 大里郡神社誌と郷土研究
  大里郡神社誌の刊行について 大里郡神社誌発刊の辞
  深谷郷土研究会の発会を祝す 「木瓜」発刊を祝す
  木瓜城をめぐる史蹟について 深谷郷土展覧会を参観して
  俳句大学          武門の崇敬
第二章 戌年参宮団
  参宮案内  睦会について  国難打開の参宮会
  参宮記念石鳥居奉納碑(戸森雷電神社)
  神徳讃仰碑(血洗島諏訪神社)
第三章 神社経営
  渋沢男爵と神前結婚式の準備 神苑設立趣旨
  人格者の英霊奉祀について  記念物奉納について
  拙き神社経営        神社境内施設について
  祭典参列の心得
第四章 由緒など
  酒折宮の碑と楡山神社昇格記念碑
  愛宕様のいはれと御造営の動機
  六堰合同起工祭       唐沢川工事と行人橋開橋
  三尻飛行場とその鎮守弓矢の神について
第五部 斎女・浦安舞・華道
  斎女の奨め1  斎女の奨め2  浦安舞の感激
  浦安の舞伝達講習会の開催にあたりて
  光栄      華道の奨め   礎石礼讃
 (奥付)  挿絵・月の家牛歩(本人)

発刊と配布にあたって


 「楡の木影」は、故楡山神社社司(宮司)柳瀬禎治大人が書き遺した随想論文集である。大正十二年の楡山神社県社昇格の「重荷をおろして」から、昭和八年までの約十年間にわたって、社頭その他での講話の下書や大里郡時報などに掲載の原稿など、約百編を綴ったものが、最初の形態だったと思はれる。「はしがき」もその時のものである。その後さらに数十編が加へられ、八百ページを越える分量として保存された。これ以外にも多量の綴りや印刷物が遺されてあり、それらの中から、現代に有意義と思はれるもの、郷土史の観点から眼をひくものなど約三十編を選び、没後五十年式年祭を記念して印刷に付した。
肉筆本表紙  遺された祝詞(のりと)草稿約二百通は、地方の近代史を語る重要な証言ともいへ、それらの中から唐沢川・福川に関するもの二通を収録した(第四章)。第二章の戌年参宮団の熱狂は、徳川期の御蔭参りを思はせるかのようでもある。
 本書で触れられた人々や事件の数々は、既に郷土史の一ページとなりつつある。著者がことあるごとに語り続けた愛郷心を、今の世にも肝要のものとするならば、先づは先人たちの業績をふりかへることから始めることとし、小さな冊子ではあるが、このような形となった次第である。
           平成十一年二月二十一日    柳 瀬

 本書は歴史的仮名遣で書かれてゐるが、諸説があることでもあり、本書では「こうして」「そうして」「〜のような」といふ表記をとった。原文を尊重したためである。また、漢語のふりがな等は現代仮名遣とした。


  官幣大社氷川神社宮司額賀大直先生題歌
 楡山のもりの朝風 たかだかに 神のみいつを あふがせて吹く
 

はしがき

神楽殿前  
 楡の木影に(はべ)りて以降、早くも二十星霜、夢のように過ぎゆく跡を省みて、ただただ(うら)みと嘆きとを、かこつばかりである。よしそれが平凡な存在であったとしても、大きな過ちもなく斯道に奉仕し得た(よろこ)びは、全く神の恩頼(みたまのふゆ)とのみ旦暮感謝せずにはゐられない。
 古いお宮の歴史を語り、郷人崇敬の的となってゐる神木楡樹は、樹齢実に一千余年とある。時には新緑の若葉に萌え、紅葉の錦も飾られて、いつも神々しい、なつかしい、生き生きとした気分を見せてくれ、(をし)へてくれるのである。
 楡の木影から独り静かに覗いてみると、広い田圃に耕す者、道往く人の面影、花のあした、月の夕べの種々相が、彼是となくうなづけるものから、執務の傍ら、それとはなしに描いてみた、名付けて「楡の木影」といふ、勿論お山を背景とした狭い範囲の断片的展望録に過ぎぬ。
            式内楡山神社内 芳春誌
 

凡例

 一、大正十二年七月二日、奉仕の楡山神社が芽出度く県社に列格あらせられたので、多年負荷された重荷をおろしたものから、爾来、いささか門外奉仕を思ひ立ち、斯界の為にお話しした研究会発表の草稿や、「大里郡時報」寄稿の手控(て びか)へなどを、紙くづのなかから拾ひ(あつ)めたのが、本編なのです。(以下略)

肖像  著者略歴
 明治十一年四月十一日生れ。幡羅村収入役などを経て、大正元年、楡山神社社司を拝命。同年、人見浅間神社、上野台八幡神社、高畑鷲宮神社、稲荷町稲荷神社、原郷愛宕神社、各社掌を拝命。のち新井諏訪神社社掌拝命。大正元年、大里郡神職会第三区斯道研究会を設ける。明治末からの神社合祀のさなかと直後にあって、氏神鎮守の再興策を広く指導し、昭和三年より神職支会長。同五年、『大里郡神社誌』の刊行を主導。昭和九年の深谷地区二千人規模の参宮会は全国的にみても大規模なものだったといふ。歌道にも親しみ、浦安の舞等の普及にも終始積極的であった。氏子の子女に華道を教へるなど「しゃしさん」の名で親しまれた。昭和二十五年二月二十一日帰幽。七十二歳。
 



第一章 大里郡神社誌と郷土研究



 以下は書籍版の索引と奥付である。索引のページ数は書籍版によるものなので、参考にならない。

 神社名索引

愛宕神社(原郷) 34
稲荷神社(稲荷町) 10上
永明稲荷(田谷)10上
熊野大神社(東方) 12下
酒折宮(山梨県)32 31下
諏訪神社(血洗島)17下 18上
諏訪神社(新井)11上
浅間神社(人見)7
田中神社(三尻)37
知形明神(本住町)10上
楡山神社 11 12 13下 14 18下 23上 25上 34下 39
八幡神社(上野台)9 22上 37下
八幡神社(三尻、瀬山)37下
御嶽大神社(成塚) 4下
雷電神社(戸森)17上
雷電社(御正村) 35下
鷲宮神社(高畑) 46下

 人名索引

足立達  4下
岩見重太郎 16下
上杉憲英 10上
上杉憲盛 9 11上
江森天寿 11下 19上
多忠朝  42下
太田道潅 38下
岡谷清英 9
岡谷繁実 9
加藤清正 47下
行人上人 36下
河野省三 5上
西行法師 6下
渋沢栄一(青淵)17下 18上
渋沢元治 17下
聖徳太子 43下
千家尊福 6上 14下
橘曙覧  6下
貞松斎米一馬 47上
貞江斎月一春 47上
成田大夫助高 12
額賀大直 1 33下 41下
幡羅太郎道宗 12
八幡太郎義家 16上
人見四郎 7
平田篤胤 21上 32上 33上
松平定信 48上
宮地直一 32下 33下
茂木秋香 11上
本居宣長 32上 33上
山口平八 8上下
吉田東伍 12

 

(奥付)

楡の木影(にれのこかげ)
 
 平成十一年二月二十一日発行
   〈非売品〉
 
著者 柳 瀬 禎 治
 
発行所 楡山神社社務所
 

 
印刷所 深谷市栄町 博字堂



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