楡山神社ホームページ 郷土資料

「楡の木影3」

第三章 神社経営

渋沢男爵と神前結婚式の準備

(大正五年頃)
 
 渋沢(栄一)男爵は、本年喜寿の齢に達せられ、目出度き齢を祝せらる記念として巨資を投じて郷里の鎮守産土神(大字血洗島・諏訪神社)に壮麗なる社殿を造営奉納せらることになり、竣工奉告祭には男爵夫妻を始め一門を率ゐて参拝せられ、列居(なみゐ)る参列者に向ひ、自己の経歴談を語り、更に有益なる敬神の(もとゐ)穿(うが)ち、聴者をして感動無量たらしめた。
渋沢栄一  その一節に、……国民道徳の涵養は、各家庭における徳育を第一歩とし、概ね婚姻に始まるのである。我国の神社は国民道徳の表徴所であり、普及機関であるならば、是が営造物は単に外形の美観、枝土の優秀を賞せるのみではもの足りぬ。活動せる社会に立ちて国民を指導せねばならぬ。()がこのたび社殿の造営を思ひ立ちしは、不肖ながら尊祖の意義を明らかにする一端を(ひら)くとともに、新築の社殿において氏子者をして、あまねく神前結婚を行はしめ、一面には社会的に有用足らしむるの微意である……と、いはれた。
 男爵は世界的偉人である。福徳神の権化である。言ふこと行ふところ、まさに国家的代表者である。古来名を為し家を興すものの要訣は、誠を基本とする終始一貫の精神である。皇祖伊邪奈岐(い ざ な き )伊邪奈美(い ざ な み )妹背(いもせ)二柱(ふたはしら)の大神は、天祖の御詔命により大八島国を修理固成し賜うた。夫婦の道は単なる私的のものではない。国家人倫の大本であることを忘れてはならぬ。ここに謹みて渋沢氏の道徳涵養論を紹介して、以て斯道の普及を要望する次第である。
 ※前ページに「神徳讃仰碑」を掲載した

神苑新設趣旨

       大正六年三月 郷社楡山神社
 
 今般当社設定の奉賛会(※)は、まことに維持方法を確立せしむる重大なる事業にして、従って勧募上の労苦尋常ならざるものありといへども、目下やうやくその途に就き、すこぶる優良なる成績を納めつつあるは、歴史を尊重する氏子及び崇敬者の美しき同情と、勧募員の熱心努力の結果なり。ここにおいて神社は、各氏子崇敬者に対し、出来得る限りの厚意を謝し、それが功績を無窮に伝へんと欲する計画の一として、将来碑石を建設するの位置を神社境内南接地に予定し、これが記念として御神苑を新設せんとす。乞ふ、神社の為御援助あらんことを。
 ※大字原郷以外の崇敬者に募ったもので現在の奉賛会とは異なる
  方法
一、神苑は、その設計を江森画伯(※)に委嘱し、普通庭園の観を避け、社頭の尊厳を損せざらむことに留意し、天然の風致を併用して境内森林との調和を図り、俗化せざらむことを期す。
  ※ 江森天寿 若くして世を去った深谷市東方出身の日本画家
二、樹木その他神苑新設に要するものは、すべて氏子崇敬者の奉納(植込まで)を以てす。
三、献木の種類は、椎がし、楠、もみぢ、桜、梅、青木、つげ、つつじ、高麗芝、その他特殊の植木。他日手入れを要せざるものを選定すること。
四、献木植付位置については、すべて社司の指揮に従ふものとす。
五、献木者はよく植付の時季を考査し、枯損せざるよう注意を要すること。
六、献木は各々その種類及び奉納者の住所氏名を神社に届出づること。神社はこれを台帳に登録し永久保存すること。

人格者の英霊奉祀について

 (大正十五年三月六日、大里郡神職会第三区斯道研究会)
 
 吾々人間が等しく神の寵児であり、神の命令を遵奉し、神と同様の事蹟を遂行し得た場合には、同じく神と崇めらるることがあり得べきものであると考へたときに、誰しも勤労と修養を怠らないのである。自己が持てる無限の神性を常に向上発展せしめ、神人合一の域に達せむとする努力、すなはちこれを敬神といひ、祭祀といふのである。()はこの意味において神域の付近に氏子内戦病死者の英魂を祀るべく招魂祠を建て、在郷軍人とともにこれを奉仕してゐる。これを等しく独り軍人に限らず、政治家なり実業家なり、或いは篤農家なり、その他あらゆる方面で神と祀るに差支へなきほどの人格者の英霊はことごとく奉祀する必要があるとおもふ。
 神社の境内は、古今の氏子崇敬者の霊魂の集中所であると考へ、いよいよ親密なる情味を感ずるのである。神社に参拝して、いよいよ高き御祭神の御威徳を仰ぎ、境内にますます広き先人の遺蹟を偲び奉りてこそ、尊厳さがあるわけであり、ますます懐かしみの精神を以て参詣気分を湧出せしむるわけである。

記念物奉納について

(大正十五年五月六日、研究会)
 
 公人として国家社会のために努力せらるる人々のために、その事蹟を神社に伝へたいとおもふ。公的事業そのものが皆皇祖皇宗の御命令であると考へ、これを遵奉し、かつその御守護を仰ぎて任務を遂行し得た場合に、これを報賽しこれを記念して後世に伝ふべきは、極めて肝要の事柄であると信ずる。
 この点において、従来の奉納物が全くに無関心のようにもおもはれる。奉納の動機が詳かに記されてゐない結果、後人の眼にあるいは権勢扶植のために、あるいは成金者の看板か商売広告利用等に謬見せられる向きが少なくないのを遺憾とする。神社は国家の宗祀、国家の営造物、公的精神生活を涵養する道場なりと考へ、氏子崇敬者の公的事蹟を顕揚することが、神社本来の任務であらねばならぬとおもふ。
神社建築  参宮記念、入営出征記念、表彰記念、河川道路橋架または公的建物建設記念、公人生活就任記念、または叙勲叙位記念、卒業記念、発明または発見記念、長寿、結婚、その他慶祝記念。
 以上のほかあらゆる公的の事実および職氏名を金石の工作物等に刻みて奉納する。これやがて神社経営上有意義の方法であり、かつ奉納物そのものが直ちに社会教化の有意義なる資料となるからである。
 

拙き神社経営

(昭和四年埼玉県神職会報)
 
 一、目的
 神社の成立沿革を鑑みて氏子社と崇敬社とに二分し、一は氏子のみを目標とし、一は崇敬者のみを目標とする。自分は目下指定神社に五社奉仕してをり、郡内多数の神社は皆、氏子社に属するので、主としてこの方面に向って精進してゐる。
 現行制度から見れば、神社は勿論国家の営造物であり、その管理者神職の専権経営によるものとして差し支へないが、かかる消極的観念を以てせむよりはむしろ、「鎮守は氏子のものなり、したがって氏子の経営すべきものなり」といった観念を注入してゐる。殊に近来、大衆迎合の方針を執らねば、時代に順応が出来なくなるとおもふ。多少、例の平田(篤胤)翁の主張たる「国民等しく神主たれ」(『玉だすき』)にかぶれた傾きもあるが、既往二十年来の拙き奉仕は、皆この目的から割り出してゐる。
 
 一、方法
 先づ第一に設備を完成する為に建築を奨め、建築熱のさめざる機会、または御慶事記念等の場合をとらへて、次にあげたる種々の事業を試み、現に実行してゐる。
(イ)社老の制定
 社老とは、氏子の元老を意味する神社限りの制度で、神社に対し歴史的関係あるもの(旧神職等)またはその子孫、神社の特殊功労者(範囲はその神社によって定める)等にして、現に氏子総代にあらざる篤志家を氏子総代から推薦せしめ、神職名を以て嘱託する。任期を定めず、神社重要の事務は諮問する。祭典には氏子総代同様の待遇をも講じてゐる。氏子総代の選に漏れたる氏子の有力者と神社との親密を図るにもある。
 ※ 「社老」は独自に設定し命名された制度である
(ロ)斎女の奉仕
 斎女は、氏子内尋常六年の女生徒に限り、供饌の手長(て なが)の作法を訓練して、毎大祭ごとに奉仕せしむる。婦女子の敬神体験であり、一般礼儀の訓練となり、氏子の接近策ともなってゐる。服装 白衣、緋裳(ひばかま)小忌衣(を みごろも)冠挿(かんざし)(木綿)は、神社の備品とし、定員四名ないし六名が抽籤により奉仕する。訓練は氏子内処女会(女子青年団)の役員が担当し、処女会も共に祭典に参加して参拝、傍に奉仕する。
(ハ)辛櫃(からひつ)(かつぎ)(※)
 氏子内高等一、二年の男生徒に奉仕せしめ、神社は祝儀若干を学校を通じて寄贈してゐる。第二の氏子をして敬神の訓練ともなり、かつ幣帛(へいはく)の重き所以を一般に周知せしむるにある。
 ※ 供進使(きょうしんし)の供進する幣帛を辛櫃に納めて前後二人でかついだ
(ニ)児童の祭詞奉読
 例祭に小学校生徒総代として可憐なる児童の創作にかかる祭詞を奉読せしめ、同時に正式参拝をせしめる。国家の祭典たる祝詞文の趣旨を一般参列者に感得せしめ、併せて児童の神社参拝を徹底せしめるにある。
(ホ)
 各種団体の代表者は、玉串奉奠(たまぐしほうてん)の作法を訓練し、祭典は必ず正式参拝を奨める。
(ヘ)村長以下の参列
 村内各大字の神社が、その例祭日に議員区長(村内)を招待参列せしめる。村長が参向し、等しく国家の安寧、村内の幸福を祈願報賽する趣旨を徹底せしめ、たとへ村内に幾社あっても皆村鎮守たるの意味を体得せしむるにある。祭後直会(なほらひ)の機会において自治の融和親善等をはかる便宜ともなる。
(ト)余興
 午前の厳粛なる祭儀を奉仕し、午後できうる限り余興を奨める。余興の種類は大衆本意とする。
(チ)大衆迎合の祭典
 各神社に一年一回大衆を集める祭典を行ひ、この機会に一般的信仰気分を涵養する。この場合は勧業に関する施設などあれば一層面白いとおもふ。
 自分はある関係神社(上野台(うはのだい)八幡神社)の祈年祭(社日祭)に、斎種(いみだね)の配付といふことを設け、地方に適応せる陸稲(をかぼ)種子(原種を農事試験場に求め、氏子の篤農家に採取せしめて神社が買ひ上げる)毎年十石を限り配付し、翌年同日報賽として一人玄米一升を奉納せしめる。境内には余興もあり、かつ苗木市を設けてゐる。当日は社入金によって一切の祭典費を弁し、剰余金ある場合は基本金に入れる。大正四年以降継続してゐるが、年歳盛んになりゆく傾向があるばかりでなく、これがため地方稲種子の改良統一等に役立ってゐる。
 大衆迎合の施設は一面斯道啓発のためでもあり、かつ講演講話会を開いた以上の効果があるとおもはれる。勿論御祭神の御事歴を本拠とした施設であらねばならぬ。
(リ)英霊の祭祀
 境内の付近に偲塚(しのびづか)を設け、氏子内戦病死者または国家的偉人もしくは神社の特殊功労者の英霊を祭祀する。祭日は毎年春秋二期の皇霊祭当日に定めてゐる。この場合戦病死者の祭典は一切在郷軍人、青年団員を係員と定め、費用は団体の負担と神社の補助金とをもって支弁してゐる。
(ヌ)臨祭講話
 祭典終了後、祭服のままにて御神徳を宣伝する。参列者が緊張せる機会を捕ふる手段であって、他の機会より効果がある。終りに一同退手(四拍手)の習慣をつけ退場することに決めてゐる。
(ル)工作物の奉納
 奉納の工作物には、必ず奉納者の動機と公生活の職氏名等を彫刻せしめる。後日成金の看板か商売の広告利用等に謬用されたくない。少なくとも公的美蹟または慶祝の記念を境内に顕揚せしめ、風致訓育の一端に供したいとおもふ。
(ヲ)神苑の設置
 境内付近に神苑を設け、氏子一戸平均一本以上の植樹を奨める(他日手入れのいらぬような種類の樹木)。枯損せるときに、継続植樹を補ふ。各種の建碑等はなるべくこの所に建設せしめてゐる。人的のものであっても風致訓育の資料たるものはことごとく許してゐる。
(ワ)基本財産の育成
 基本財産は、一時に多額の金を集めんとするよりは、むしろ零細の積立が意義があり、また成功もするとおもふ。自分が施設した事業を紹介すると、一は崇敬者を目標とし、一は氏子を目標として起した。
 奉賛会 楡山神社付属の団体にして、その筋の許可を得たもので、旧来の(郡内各村社からの)崇敬を復興継続し、併せて基本金造成を目的とする。毎年一定の祭日(節分当日)に分納かたがた参拝せしめ、神社はその分納金の約半分を待遇費に充て、他の半額を直ちに積立金となし、指定の年限までには利殖を図り、これを合算して元金の申し込み金額には影響を与へぬといふ施設である。
 初穂組合 米麦大豆等、氏子内より精選したる現品を奉納せしめる。集穀の取扱ひは、組合の役員たる氏子総代年番等がその任に当たる。奉納当日は献穀祭を行ひ、かつ神前審査を行ふ。受賞者には組合長名を以て褒状を授与する。積立金は神社基本財産に編入し、一期分を十ヶ年とし、既に本年第二期が終了される。しかしながら、最早多年の慣行となり、年中行事の一つともなってゐるので、氏子は更に期間を延長して積立金の利子を以って四時の祭典費が支弁し得るまでを目標としてゐるらしい。
(カ)神社の御昇格
 神社経営最後の目標は、何としても御昇格にある。而して我等の研究努力から、神社と郷土との史的関係の沿革を明らかにし、ますます郷土生活の美愛を発揮せしむることが、やがて真の祖先崇拝になり、敬神尊王愛国の完成であらねばならぬとおもふ。ところが現行の府県郷社昇格の要件が、主として公家藩公崇敬の事実に重きをおいてゐる。関東、殊に本県の如きは、永く京都に遠ざかってゐた関係ばかりでなく、鎌倉以降の戦乱の為に多くの史実が堙滅してゐる。史実が未発見であるからというて、神社の経営を怠り、または中止するような事は、甚だ浅薄な考へであらうとおもふ。
 神社の御創立は古く東西の別なく行はれたものであり、ますます学究踏査の結果は、やがて明瞭する時期が到来せねばならぬ。また神社に対する国民の態度が如何様に進歩発展するか、したがって今後の制度に如何なる変化を来すのかは未知数に属することではあるが、少なくとも国家存立の上に大関係を持てる神社の使命は、我々の目的を裏切るようなことはあるまいと信ずる。如何なる事業でも目的なしには精進し得る筈がない。まして営利を目的とせざる神社の経営である。たとへ自己が生存中出来得ぬならば、子孫後人をしても継続奉仕せしめねばならぬこととおもふ。
 自分はこの問題について直接県郷社の昇格運動に従事し、現在なほ一社従事しつつある。世間から物好きぐらゐに見られてはゐるが、かかる意味から一向頓着しないばかりか、益々駑馬に(むちう)ってゐる。
 
 以上自分が拙き経営の概要である。従来関係した神社は多少とも面目を改め来たってゐる。他郡の同職間にも幾分共鳴者があったように見受けるので、甚だ愉快におもってゐる。ただ遺憾なのは、御同様に国家社会の犠牲者に対し、世間が余りに盲目であることだ。時代の潮流に竿さして、漕ぎ着け得るかどうかが心配である。神職は学問が足らぬといったことが巷間耳にせぬでもないが、より有能の士であってからに、おもふようにまゐらぬようだ。仕事が仕事であるから物質的待遇は国家が与へねばならず、さもない以上、千百の全神決議(※)もあてにはならぬ。次の代には神職はやらせぬといった悲哀もある。さりとて神社の将来を拘束するようなことだけは、したくないとおもふ。
 ※全国神職会において神職の俸給を国に求めたようだが、国から支給されたといふ話は聞かない。

神社境内施設について

(昭和十年六月)
 
 今年五月十二日、越谷に開催された埼玉県郡市氏子総代連合会に付議すべき議案の提出方について、今後各郡独自の提案を採ることとなったことから、我が大里郡市連合氏子総代会に於ても、幹部の協議によりて、左記の議事を提出したのであった。
 

 神社境内付属建物配列基準設定に関する件
 
理由
 神社境内施設に関し、これが建物の配列及び工事の設計を誤るときは、神社の尊厳を傷つくること甚だ多し。よってこの際、相当建築界の技師に嘱託して、各神社ごとに特定の場合を除くの外、一定の境内配列の基準を設定して、現に誤れるものは逐次是正するとともに、今後における建設予定箇所を指定して、将来遺憾なからしめんとするにあり。以上
 
 本案は神社経営上極めて重大の事柄でもあり、ここに僭越を顧みず、提案の動機内容に関する概説を試みさせていただいて、いささかたりともこれが喚起発奮の機会をつくりたい念願にほかならぬ。私たちお互ひは、寄るとさはるとこの問題に腐心しつつあるのが常ではあるが、最近郡内第三区で実行された、同行二千人の奉賽にかかる参宮記念の建設物の施設について、当時この研究の急務を感じ、とりあへず県主任官のお指図にしたがって斯界の権威二本松技師を楡山神社に御派遣を願ひ、実地に就いて懇篤なる御教導を仰いだ関係上、一層本事業の重要性を感じたものであった。幸ひにも楡山神社では、二本松氏の設計によって、特殊な神楽殿と手水舎とが同時に建設され、付近には稀に見る優秀な形式なので、既にこの様式を真似た神社も一、二を数へ、同士と共に秘かに慶びあってゐる。また従来執り来った施設上の誤りなど発見して、寒心恐懼に禁へぬものさへある。
一、境内
 明治神宮御造営局に奉仕した大江技師の説明によると、凡そ神社の境内は三段に区域を分かち、一番奥深い部分を《神聖区域》となし、本殿、拝殿、神饌殿、神庫等を配し、社背社側の林相は、常緑密生の自然林とする。
 それから下って中間部を《聖厳区域》として、神楽殿、手水舎等を配し、周囲の林相は奥地の神聖区域よりやや緩和された常緑落葉の交植林となし、
 寄り付きの部分を《清雅区域》として、社務所、参集所、祭器庫、雑具舎等を置き、さらにこの区域の一部を割きて自由区域ともいふべき余興場や子供の遊び場所を設くることが理想であるといはれた。
 つまり前を明るく奥を暗くする施設がもっとも肝要なのであって、さらに地形が高低のある場所、奥を高く寄り付きを低くする。またその反対に低地部を神聖区域に充て、高台を清雅区域に採ることも一方法で、例へば今度出来た大宮の氷川公園にある官祭招魂社や、群馬県一の宮の貫前(ぬきさき)神社のように、下りこみの地相も一段神聖味があるとおもふ。
 また清雅区域から聖厳区域にかけて神苑を設け、神池などを掘って風致を添へることが出来るならば一層面白いとおもふ。ただこの場合に注意を要することは、神苑の植樹を、男松、吉野桜、紅葉、つつじ等、平素手入れを要せぬ樹木を選び、境内林との調和を図ることが肝要である。神の池の施設は、一面防火施設の水溜ともなり、一石二鳥の方法であるとおもふ。
二、参道
 境内は神様のお屋敷であり、参道は出入道路である。前方人車道路から直線に御神殿の御鏡が見えるようなのは、敬虔の施設とはおもはれない。神前を横切っても不敬にわたらぬような参道にして欲しい。我々の住宅ですら、表門と玄関とが真直に見通してゐるのは、家相上不適当とされ、玄関廻しの寄せ植ゑなどして、これを避けてゐる。(※参道を歩くときは中央を避けるのが良いとされる)
 寄居町付近の神社では、入口御鳥居の直前に石の積垣を設けて、善後施設を執ってゐる向きもある。参道の距離が長ければ、明治神宮のように弓なりに曲げてもゆけるが、短い場所ではどうすることもできぬ。浦和の調(つき)神社のように、側面に入口を設けて、途中から曲折するのも一方法であるとおもふ。伊勢神宮、熱田神宮を始め、著名の神社は多くそうなってゐる。
三、建物
 我々の住宅なら本家(母屋)に当るのが、神社の御本殿である。拝殿以下はすべて付属の建物であり、鳥居は御門である。
 本殿が狭くて拝殿が広いのは、本当の施設ではない。本殿内に供饌することが不可能で、御廊下(幣殿)や拝殿などに供膳してゐるのを見てゐると、まことに申しわけないとおもふ。
 すべて御本殿を中心として、付属建物の形式を執らねばならぬ。例へば御本殿が素木造の直線型なら、付属も一切直線型でなければ調和を欠き、本殿が朱塗りの権現造であったら、付属建物も朱塗りであって欲しい。
 お寺の代名詞を瓦葺きといふのが延喜式に見えてゐるが、神社の御屋根は古来草葺きが本格であり、後に桧皮葺き、銅板葺きとなって来たものなのであるから、少なくともこの精神を保存するためには、主要建物くらゐは瓦葺きを避けることとしたい。
四、工作物
 石灯篭、社号標、狛犬(こまいぬ)、石玉垣、碑表等の金石物が、氏子崇敬者から奉納さるる場合は、何を措いても奉納者と熟談の上、形式を選定することが肝要である。彫刻の文字なども納人の氏名は裏面に掘るのが敬虔の態度であり、また何々記念といった奉納の動機を明らかにする。公生活の氏名は、私の氏名よりはむしろ大切なことでもあり、神社の公的存在を奉戴する所以であるとおもふ。
 大伽藍の雨水を処分するのが主眼となって流行した天水鉢などは、強ひて神社に設くる必要もない。火防に要する水溜めなら、導水装置によって適当の箇所に設け、出来るだけ神前を避けるのが理想ではあるまいか。
五、配列
 国家が直接工事の設計監督をしてゐる官国弊社の施設を真似るのは、概ね無難であるが、府県社以下になると、寄進者の意見も加はったり、素人の工事委員や責任感の薄い工匠たちが、勝手に近所の神社などを視て、何らの研究なしに着工する傾きがあるので、遺憾ながら調和を欠けるものが少なくない。後で模様替の破目に陥り、徒らに失費を要することは甚だ面白くない。
 要は、よくその建物の性質を考へて配列するのが肝要であり、同じ庫であっても、宝物を収むる神庫は神聖区域を選び、祭器庫なら社務所付近がふさはしい。同じ石灯篭でも、入口の清雅区域には丸みを帯びた春日型がよく、神聖区域には神前型が調和する。参道の工作物とされてゐる灯篭が、参道以外の処にあっては意味をなさぬ。狛犬が衛門の精神からとった工作物であるなら、鳥居の両側とか、社前の両側とかでなければ一向引立たないとおもふ。雑具舎とか旗竿置場等は、社務所の裏などが適当とおもはれ、便所などは人目に付かないような場所を選びたい。
 
 以上、粗漏不遜の言辞は幾重にもお詫びする。今や国体明徴の言語を耳にする秋でもあり、神社の尊厳保持に大関係を持てる境内施設を完備して、一段と敬神崇祖の信念を植ゑつけねばならぬ。官国幣社も府県社以下も、本質には何の隔りもない。規模の大小、工作の素密はあるにしても、経営施設の方針を上下したり、等閑に付したりしては、相済まぬこととおもふ。

祭典参列の心得

(昭和五年)
 
 年歳行はるる神社の祭典、殊に大祭中祭にありては、全く公の祈願報賽であるために、官公吏各種団体の代表者が遍く参列せられてゐることは、最早全国津々浦々に至るまで実現せられてゐるので、これが心得方についても、今さら余計な説明を試みる必要もないとはおもふが、時にまだ初めて参列されるといふ人々のために、いささか補足しておきたいとおもふ。またお互ひに一層研究しあって、この上にも祭典の内容を充実してゆきたいとおもふ。
祭式  一、礼服着用について
 祭典の威儀を保つ上に、礼服着用には特に意を注ぎたいとおもふ。当日社殿の装飾は勿論、境内の清掃、幣帛(へいはく)供進使並びに祭員の正装等、皆正規の服装を整へてゐるのであるから、一般参列員に於てもまた定めある礼装、制服等を着用せられたい。この場合、勲章記章等は佩用していただきたいとおもふ。勲章記章の佩用は、国恩感謝の一表示であって、また偽らざる自己の至誠を披瀝する質実なる国民的態度であるとおもふ。
 二、斎戒(さいかい)について
 幣帛供進使並びに随員、及び祭員、その他直接祭儀に当る人々に対しては、既に厳格な規定の設けがある。
 
○内務省令第五号(大正三年三月)
第一条 祭祀に奉仕し又は参向する者は、大祭中祭には其当日及前日、小祭には其当日斎戒すべし
第二条 斎戒中にある者は喪に与る等其他汚穢に触るることを得ず
○官国幣社以下神社祭祀令(大正三年一月勅令第十号)
第六条 喪にある者は祭祀に奉仕し又は参列することを得ず。但し除服せられたるときは此の限に在らず
(原文カタカナ)(※現行の喪の期間は父母に対する五十日間を最長とする)
 
 斎戒中は汚穢(おあい)に触るることは厳禁せねばならず、また精神の平安を保つため、心を刺戟するような争論等は一切避けねばならぬ。殊に御祭事直前に当り、精神的に不安を感ずる場合があったら、最早参拝の目的を達せざるのみか、神明を冒涜することになる。
 三、修祓(しゅばつ)の心得
 先づ手水をつかひ、さらに祓司(祓主(はらひぬし))によって祓をうける。上古、伊邪那岐(い ざ な きの)大神が日向(ひむか)(たちばな)小戸(を ど )檍原(あはきはら)において身滌(み そ )ぎ祓へ給ひし祓詞(はらへことば)を拝信して、いよいよ心身の潔斎を追進して、一路臨祭気分に浸るのが肝要である。祭典の一半はこの祓行事に尽くされてゐるのであるから、つとめて雑念を去り、心の平静を保ちたいとおもふ。
 四、斎場着席の心得
 着席の本位は、神社の古格、地方の慣習によりて一定してをらぬ。埼玉県令では、当該神職より当祭の玉串拝礼順序書を供進使に提出する定めになってゐる。同一資格の場合にあっては、年齢順に着席するのが端の見る目も奥床しく感ぜられる。国儀国礼を尊重し、国家奉仕の至誠を表現するためには、出来得る限り本人自身参列してもらひたい。
 小学児童を長時間緊張せしむることは不可能のことでもあるから、祝詞奏上後、適当の機会に静かに退席させることも肝要であり、式の静寂を乱るが如き例へば参列中雑談等は一切止めたいとおもふ。
 五、開扉(かいひ )について
 神の出御である。ウオーといふ警蹕(けいひつ)の声と共に諸員敬礼をする。もはや神と対座せるときであるから、一切鳴りを静めて緊張せねばならぬ。斎主は開扉を奉仕して側に伺候し、侍従長の格で側近に奉侍して御気色を伺ふ。万一不敬の出来事でもあったら、身を以って尊前を擁護し奉る重大なる責任がある。
 六、幣帛(へいはく)供進(きょうしん)神饌(しんせん)の献進
 幣帛は神の衣料に当り、神饌は神の御食膳である。神のお住ひは既に出来てゐるから、これを掃き清め、装飾して御歓待申上げる。神饌の調理進御の作法、御食事の音楽吹奏等、如在の礼を奉る規定になってゐる。郡内には氏子の子女をして奉らしめる、斎女奉仕といふ特殊の行事を加へてゐる神社もある。
 七、祝詞(のりと)奏上
 ノリトは宣り説きごとを(ちぢ)めた言葉である。神に宣上するとともに、一般参列者にも()り示す意味が含まれてゐるのであるから、心して陪聴すべきである。従って奉読者にあっても、音吐朗々、語調明晰に奏上せねばならず、作り声を出したり、言語が不明瞭であったりしてはならぬ。あたかも学校長が御勅語奉読と同一の意味であるから、一言一句注意せねばならず、祭を終りて後ち、奉奏者から奏上文の概念だけでも説明して貰ったら、一層徹底することになるとおもふ。
 祭式中緊張気分の最高潮に達せる時であり、この感激をして遍く各員にも体験したいといふ気分から、小学児童の国歌奉唱とか、また祭詞奉読とかの行事を加へて実行せられてゐる神社神社建築もある。可憐なる児童の奉仕振りを見ては、泪なしにはをられない。今ここに児童の創作にかかる祭詞の一例を示すこととする。(祭詞は略す)
 八、玉串拝礼について
 玉串の意義については、既に種々の学説はあるが、拝者個々の(たま)をば弥栄(いやさか)常磐木(ときはぎ)につけて供納する、即ち人格の提供であり、勿論ここに報賽も祈願もこもってゐる作法である。
 しかも団体を代表して奉る場合には、一層責任観念のもとに正々堂々定めある座席に着きて参拝せねばならず、洋服だから向拝で間に合はすといったのでは、徹底した参拝気分にはなれぬ。まして座席のまま起立敬意を表す位の程度では、とても神聖なる体験に浴することは出来兼ねる。大中祭に限りて御扉を開く規定になってゐるから、神霊に直面し得る折角の機会を逸してはならぬ。
 世間にはまだ正式参拝を(いと)うたり遠慮したりするものが幾分残ってゐる。作法の心得がなかったといふなら、よろしく練習してもらひたい。内務省の告示による作法は、独り幣帛供進使や神職の専用儀礼ではなく、遍く国民の参拝形式である。これが当否は、個々参拝後の気持ちに立入ってみれば自ら諒解される。
 九、余興
 余興に二つの精神がある。その一つは神を慰安し奉るもの、例へば神楽、獅子舞の如きものと、その二は参拝者を慰安するものとがある。前者は信仰が手伝ってをり、後者は大衆娯楽を意味する。勿論後者にあっても、氏子の子等が嬉々として楽しむ有様をば神におめにかけ、氏子等の平安を神前に提供する意味からすれば、あながち個々の娯楽とのみ見るわけにはいかぬ。
 なかんづく御神楽の起源は、神代の昔、岩戸開きのときに天宇豆売(あめのうづ めの)(みこと)が奉仕したといふ神話の伝統がどこまでも根ざしてゐるから、現今にあってもなかなか(すた)れない。獅子舞の行事なども悪魔払ひといふ信仰的余興であり、一面郷土芸術ともいふべき性質をもってゐるから、各々その風俗人情等の特殊性が顕現せられて、まことに捨て難い趣きがある。
 十、直会(なほらひ)
 直会はナホリアヒであり、解斎の意味である。神のお手付きになった撤下のお余りを頂戴して一層御恩頼に浸りたいといふ信仰的会宴であるから、料理店で酒食する気分とは全然異なってゐる。御神酒一杯のお頒ちは、下戸上戸を問はず戴きたいのである。戴く作法も種々あるが、先づ手を二つ拍ち、一揖(いちゆう)して戴きたいとおもふ。かかる場合にも、神への敬意を払ふ心持でありたい。御馳走の善悪は問題とはならず、せめてかかる官民同席の神聖であり平和である機会を捕へて、時事問題などが協調和解疏通されたりするようなことがあったら、直会奉戴の価値が一段と意義づけられるのではないかとおもはれる。
 十一、境内の研学
 この項は、直接神祭には関係を持たぬ事柄ではあるが、折角の機会に境内施設を一瞥することは、参列者として研学の栞になるとおもふ。奉納の工作物等が社会教化の暗示でもしてゐるような場合もあったら、なほさらのことである。従って神社経営者としても、一段とこの方面に工夫を要することが肝要となって来る。例へば各種の奉納物なども、よくその発願動機を明記しておくこと、また奉納者の公職氏名等は明かに銘彫しておく必要がある。
 
 世間には神様の街頭進出を希望してゐる向きが少なくない。万事宣伝の流行に連れて、肝要のことかもしれぬ。されど神職の仕事は、主として神祭の厳修と神社経営施設とが専務であって、他の宣教を旨とせる宗教者とか、育英を主眼とする教育者といふ仕事とは、いささか趣きを異にする立場にある。しかしながら時代の要求としてますます神徳の発揚を図る為には、時に祭神の御事歴を説き、団体との関係や郷土氏子との関係等を闡明する必要があり、進んでは鳥居神社と国民生活との交渉を一層親密ならしむる施設経営を怠ってはならぬわけである。而してこれらの宣伝に当り、最も有効なる機会が祭典日なのであるから、この場合に参列員各位が大いに体験自修して戴きたいとおもふ。時間経済の上からかなり祭典形式の繁瑣を簡略したいといふ向きもあるにはあるが、これが内容に立ち入ってみると、総て信念の上に築かれてゐる行事作法である故に、万一にも不敬があってはならぬといふ信仰から、軽々しく取り扱ふことが出来ぬ。何ら支障なしに滞りなく祭儀を終った後の感激安心といった気持は、また言外の趣きがある。
 学校の卒業記念証書は卒業式挙行の如何に拘らず効力はある。戸籍法の届け出がすめば結婚式を挙行せぬとて夫婦の効力は成り立つといってみたからに、挙式の形式を経て初め真の卒業気分にもなれ、実の夫婦であるといふ信念にもなれる。いはんやこれを拡充して神聖化せらるるに及びて、いよいよ安心があり得るのと同様の境地であるとおもふ。

第四章 由緒など


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