伊勢御師三日市大夫次郎の書状

【古文書倶楽部2016-9】


一筆致啓上候。先以 其御地
御家内御堅勝 可被成御座、
珍重御義存候。然ば先達て
御参宮の所、麁末の仕合
残念の至御座候。先儀御参
宮御礼物 首尾能相済、幾久
目出度奉存候。弥 御道中
御安全 可被成御帰国、大悦
存候。尚重て御参宮奉
待候。恐惶謹言
   御師
    三日市大夫次郎
 八月吉日   公好

江戸時代の古文書のうちでも、神仏に関するものは、現代からの類推で解釈可能な要素が多い。
他の文書で頭を悩ませているときなどには、一服の清涼剤といったところ。

画像は、伊勢御師の中でも最もよく知られた三日市太夫からの御礼の口上の文で、木版刷り。
伊勢で参宮を終えた人々への祝意、帰国の無事を祈る内容と思われる。
「粗末な対応しかできずに残念の至り」という言葉は、謙遜の意味と、お名残惜しいという意味なのだろう。
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名頭字林

【古文書倶楽部2016-9】


名頭字林

源 平 藤 橘
惣 善 孫 彦
弥 与 新 小

甚 勘 長 茂
忠 助 喜 市
清 伝 作 佐
治 久 又 半
角 多 文 伊
才 庄 嘉 権


『江戸方角』に続き、手習用の教科書である、『名頭字林』。または『名頭字』とも。
人名に多く使用される漢字を並べたもの。
「源平藤橘」という昔からの著名な姓(かばね)の四文字で始まる。
「惣善孫彦」からつづく32文字を見ると、たしかに江戸時代の人名によく見られる漢字である。
最後は「左衛門 殿 様」で終っている。

ちなみに当家の江戸時代の当主の名には、彦、伊、権の文字がつく三種類の名がある。一つの名を代々襲名する家もあるようだが、三種類あると名前だけである程度の時代を推定できるので、ありがたい。

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『江戸方角』

【古文書倶楽部2016-9】


岩 西久保 金地院
神明 烏森 増上寺
三田 春日 魚籃 太子
堂 日本榎 品川 庚申
堂 東海寺 末之方は
永田 馬場 山王 溜池


この文書は、『江戸方角』と呼ばれる手習いの教科書のようなもの(の一部)。内容は、見ての通り、江戸の地名名所尽で、地名の羅列である。
江戸時代に子どもたちが手習塾で師匠に付いて、声を出して読みながら、字を書き写し、文字を学んだもの。

『NHK趣味悠々 古文書を読んでみよう』(2001年)にも、江戸に近い世田谷太子堂村に保存されていた『江戸方角』が載せられている。安政のころのものという。「世田谷地域の子供たちが、将来江戸とのかかわりで暮らしを立てるようになることを予想して学ばせていたのではないか」との説明もあった。

ここに掲載のものは、武蔵国のだいぶ外れの村に伝えられたものである。遠距離なので江戸に野菜を売りに行くようなことはなかったと思うが、そういった実利だけで人が動くわけでもないのだろう。遠隔地の人々も、江戸やさまざまな地方の地名への関心はあったと思われる。
たとえば、芝居や物語や俗謡などに出てくる江戸の名所や地名。旅の人たちが聞かせてくれる話に出てくる地名。
大人になってから名主の代理として江戸に出府するときのために、というのは実利だが、目的地を単に往復するだけでなく、見聞を広めるための行動もあり、帰村した者から土産話などを村人はよく聞いた。
さまざまな土地やそこの神仏の話などに、人々の関心が広がって行った時代だった。
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以上は、以前「古文書倶楽部」というブログに書いたものを今回修正して載せた。そのブログは続かなかった。8年前のことだった。
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出土品 寛永通宝

寛永通宝
我が家の庭からの出土品である。
最初は、錆びやゴミ詰まりの状態のため、自然光や照明の下では、文字は全く判読不明だった。照明をさまざまな角度で当ててみたが、全くわからなかった。

パソコン用のイメージスキャナで、書類の紙のようにスキャナしてみると、間違いなく「寛永通寶」と読める。
これには驚きだった。

画像を良く見ると、下から光が当って、凸部のすぐ上に陰ができている。
スキャナは強い光を当てながら、レンズを通して撮影する(「読み取る」ともいう)仕組みだが、上から下へ向かってゆっくり取り込んでゆき、光が下、撮影レンズが上なので、上に陰ができるのだろう。
乱反射がほとんどないので、陰ははっきりと出るのだろう。

スキャナには、こういう使い方もあることがわかった。
この方法を応用できるものは、あるだろうか。

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